建長寺
鎌倉五山の第1位の寺で、臨済宗建長寺派総本山が建長寺。禅宗に深い関心を寄せていた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が、宋からの渡来僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて建長5年(1253年)に建立した…
鎌倉五山の第1位の寺で、臨済宗建長寺派総本山が建長寺。禅宗に深い関心を寄せていた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が、宋からの渡来僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて建長5年(1253年)に建立した…
臨済宗円覚寺(えんがくじ)派に属する鎌倉五山の第4位の寺。第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)の三男、北条宗政(ほうじょうむねまさ)の菩提を弔うため、弘安4年(1281年)、宗政の妻とその子・北条師時(ほうじょうも…
2017年に開催された『第33回全国都市緑化よこはまフェア』をきっかけに、横浜市は「ガーデンシティ横浜」を推進していますが、その一環としてとして2025年3月19日(水)~6月15日(日)、『ガーデンネックレス横浜202…
根岸なつかし公園旧柳下邸と三溪園は、例年『桃の節句』、梅の開花にあわせて、2月上旬〜3月上旬に、雛人形を飾っています。三溪園の旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく=白川郷から移築された合掌造り)と大正時代建築の旧柳…
明治39年の三溪園の開園時に、梅の木を小向(川崎)・杉田(横浜)・蒲田(東京)といった近隣の名所から集めて築いたのが三溪園の梅林。当時の新聞に「著名の梅園を一邸に集めたるは、門戸を開きて万衆の来たり観るに任せんが為なり」…
世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明し、さらに世界中で愛されているカップヌードルの開発者でもある日清食品創業者・安藤百福(あんどうももふく)の発明記念館。「チキンラーメン」や「カップヌードル」を手作りする…
昭和45年3月7日に大船駅〜西鎌倉駅間が開業した湘南モノレール。大船駅と湘南江の島駅を13分45秒で結び、通勤・通学、観光路線として利用されています。モノレールが走るのは、昭和6年に供用を開始した日本初の自動車専用道路で…
明治初頭から、横浜有数の「銅鉄引取商」として輸入鉄鋼の販売を営んでいた柳下平次郎の邸宅が旧柳下邸。明治時代後期から大正時代、海を見渡せる根岸の高台は外国人住宅や、日本人の別荘や邸宅などが数多く建てられました。現存するのは…
鎌倉幕府第8代執権で元寇(げんこう)を二度にわたって退けた北条時宗(ほうじょうときむね)の招聘で南宋より来日した臨済僧、無学祖元(むがくそげん)が弘安5年(1282年)に開山した鎌倉の名刹が円覚寺。元寇で犠牲となった兵士…
横須賀港の新港埠頭に近くに位置し、海が見渡せる広大な公園が三笠公園。その名の通り日露戦争の日本海海戦で帝国海軍旗艦となった戦艦「三笠」が記念艦として保存されています。「水と光と音」がテーマの三笠公園は、「日本の都市公園1…
日露戦争の際に、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が乗る連合艦隊の旗艦として、黄海海戦、日本海海戦で活躍したのが戦艦「三笠」。明治35年にイギリス(ヴィッカース社)で建造され、奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された敷…
横浜港近くにある中世鎌倉、戦国後北条、開国と文明開化などを解説する県立の博物館が神奈川県立歴史博物館。旧館部分は明治37年11月に建てられた旧横浜正金銀行本店で、ネオ・バロック様式の建物は国の重要文化財。平成30年4月に…
横浜のご当地ソングは横浜、ヨコハマ、YOKOHSAMAで始まる曲だけでもざっと110曲ほど。そんな横浜のご当地ソングの中でも駅名までに影響を与えたのが青江三奈の歌った『伊勢佐木町ブルース』。伊勢佐木町商店街(イセザキモー…
駿河国駿東郡深良村(現・静岡県裾野市深良)の名主・大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、4年の歳月をかけ寛文10年(1670年)、箱根外輪山の湖尻峠を越えて芦ノ湖の水を駿河(静岡県)側に流すため、1342mにわたるトンネル…
建長5年(1253年)、日蓮(にちれん)に帰依した土地の地頭・石井長勝(いしいながかつ)が屋敷内に法華堂を建立し、日蓮に寄進したのに始まると伝えられる鎌倉の古刹が長勝寺。日蓮聖人が、この地で帝釈天の使いである白い猿に助け…
日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)により、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港すると、現在の日本大通りの西側に居留地が設けられますが、その海岸沿いの道がBUND(海岸通り)。関東大震災後に海岸は瓦礫で埋め…
社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を…
横浜開港にあたり、吉田屋新田(現在の横浜スタジアム、横浜公園一帯)に外国人と日本人の両方が使えるという港崎遊郭を設置しましたが、その遊郭街が慶応2年10月20日(1866年11月26日)火事で焼失。防火対策として英国人R…