賀名生梅林
奈良県五條市西吉野町北曽木、和歌山県との県境近くを流れる丹生川沿いの斜面全体に植栽された梅林が、賀名生梅林(あのうばいりん)。その数は2万本といわれ、吉野山の桜が「一目千本の桜」ならば、こちらは「一目万本の梅」。花の見頃…
奈良県五條市西吉野町北曽木、和歌山県との県境近くを流れる丹生川沿いの斜面全体に植栽された梅林が、賀名生梅林(あのうばいりん)。その数は2万本といわれ、吉野山の桜が「一目千本の桜」ならば、こちらは「一目万本の梅」。花の見頃…
奈良県五條市、JR和歌山線・大和二見駅(奈良県最南端の駅)近くにあるのが、土木学会推奨土木遺産にもなっている旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群・新町高架橋。紀伊山地を鉄道で貫く大構想で、昭和34年に竣工したコンクリートア…
奈良県桜井市と吉野郡吉野町を結ぶ奈良県道37号(桜井吉野線)の旧道にあるのが、旧鹿路トンネル(きゅうろくろとんねる)。トンネルの直下に平成15年9月17日に新鹿路トンネル(全長2466m) が開通し、交通量は減りましたが…
奈良県北葛城郡広陵町にある馬見古墳群(うまみこふんぐん)の1基が、牧野古墳(ばくやこふん)。北群・中央群・南群の3群からなる古墳群の中央群を構成する古墳で、馬見丘陵中央部の尾根末端を利用して築かれた直径50mの大型の円墳…
奈良県高市郡明日香村、奥明日香入谷(にゅうだに)地区、大仁保神社境内に平成29年度に開設された展望台が、奥明日香天空展望台。標高450mほどに位置し、快晴の日ならあべのハルカス(大阪市阿倍野区)まで眺望できるのが自慢です…
奈良県奈良市登大路町、奈良国立博物館管理の施設である仏教美術資料研究センターは、明治35年、奈良県特産品の展示即売場として建てられた旧奈良県物産陳列所。奈良公園の景観との調和を考えて、外観は平等院鳳凰堂を模した和風建築で…
奈良県奈良市春日野町、奈良公園のシンボルでもある若草山(三笠山)ですが、入山できるのは、3月第3土曜~12月第2日曜の9:00~17:00のみ。奈良公園側から若草山登山道(南ゲート・北ゲートの2コース)を利用すれば、手軽…
奈良県奈良市春日野町、奈良公園の東、若草山(三笠山)一帯の春日山原始林(国の特別天然記念物、298ha)を歩く自然探勝路が、春日山遊歩道。北入口から若草山側を歩く北コース(春日奥山遊歩道)、南入口から花山の南を首切地蔵へ…
奈良県奈良市川上町、原生的な状態を維持している照葉樹林で国の特別天然記念物に指定される春日山原始林のなかにある小さな滝が、鶯の滝(うぐいすのたき)。花山川の源流部、落差8mほどの小滝ですが、江戸時代から知られる滝で、奈良…
奈良県奈良市、春日山原始林を抜け変化に富んだドライブが楽しめる若草山・春日山・高円山を結ぶ有料道路が、奈良奥山ドライブウェイ。昭和30年に開通した観光道路で、世界遺産、特別天然記念物に指定された奈良奥山部分は北側から南側…
奈良県奈良市登大路町、明治28年に、東京国立博物館に次いで造られた国立博物館で、奈良公園の一角にあるのが、奈良国立博物館。レンガ造りの本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊(かたやまとうくま)の設計…
奈良県葛城市にある行基の道場をルーツとする古刹で、中将姫ゆかりの『當麻曼陀羅』(たいままんだら)を本尊とする真言宗・浄土宗二宗の寺が、當麻寺。古い時代の東塔(とうとう)と西塔(さいとう)が現存する唯一の遺構で、西塔は東塔…
奈良県葛城市にある行基の道場をルーツとする古刹で、中将姫ゆかりの『當麻曼陀羅』(たいままんだら)を本尊とする真言宗・浄土宗二宗の寺が、當麻寺。古い時代の東塔(とうとう)と西塔(さいとう)が現存する唯一の遺構で、とくに東塔…
奈良県葛城市にある行基の道場をルーツとする古刹で、中将姫ゆかりの『當麻曼陀羅』(たいままんだら)を本尊とする真言宗・浄土宗二宗の寺が、當麻寺。本堂の曼荼羅堂(まんだらどう)は、国宝。當麻寺のなかで最大の建物で、本尊の當麻…
奈良県葛城市當麻、當麻寺中之坊(たいまでらなかのぼう)は當麻寺最古の由緒を伝える子院。白鳳時代(7世紀末)に役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)により開かれた道場がルーツで、天平年間に當麻寺別当…
奈良県香芝市(かしばし)、奈良県道703号(香芝太子線)沿いにある標高154mの峰が、屯鶴峯(どんづるぼう)。遠くから見ると白い鶴が屯(たむろ)しているような奇観が名の由来で、1500万年前の二上山(にじょうさん)の火山…
2025年2月1日(土)~3月9日(日)9:30~16:30(土・日曜、祝日は17:00まで)、奈良県大和郡山市の大和郡山城(追手門、追手向櫓、十九間多聞櫓=いずれも復元)で、『第22回大和郡山盆梅展』を開催。大和郡山市…
奈良県高市郡明日香村平田にある古墳が、平田梅山古墳。墳丘長140mという前方後円墳で、古墳時代後期の築造と推測されています。同時代の古墳としては巨大なため、ヤマト王権最終期の大王墓と推測され、宮内庁は檜隈坂合陵(ひのくま…