東急世田谷線・三軒茶屋駅
東京都世田谷区太子堂にある東急世田谷線の起終点駅が三軒茶屋駅。明治37年3月6日、玉川電気鉄道(後の東急玉川線)の開通で開業した駅で、世田谷線は大正14年1月18日の開通。現在の駅舎は、平成8年11月15日の開業で、「関…
東京都世田谷区太子堂にある東急世田谷線の起終点駅が三軒茶屋駅。明治37年3月6日、玉川電気鉄道(後の東急玉川線)の開通で開業した駅で、世田谷線は大正14年1月18日の開通。現在の駅舎は、平成8年11月15日の開業で、「関…
三重県尾鷲市、伊勢の神宮と熊野三山に祀られる熊野権現を結ぶ巡礼の道、熊野古道伊勢路。その最大の難所され、山賊や狼(おおかみ)が出没して旅人を困らせたのが八鬼山越え(やきやまごえ)です。沿道の随所に石仏があるのは、往時の苦…
三重県度会郡大紀町(たいきちょう)と北牟婁郡紀北町の境に位置する峠越えの道が熊野古道伊勢路 ツヅラト峠道。かつて神宮(伊勢神宮)と熊野権現を結んだ巡礼の道で、伊勢国と紀伊国の国境、ツヅラト峠(標高357m)を越える峠道で…
三重県熊野市にある神宮(伊勢神宮)と熊野権現を結んだ巡礼の道で、地元の生活道路としても活用されたのが熊野古道伊勢路二木島峠道・逢神坂峠道。伊勢側(北側)の二木島湾と、熊野側(南側)の新鹿湾(あたしかわん)を結ぶ峠越えの道…
滋賀県甲賀市信楽町にある信楽高原鐵道信楽線(貴生川駅〜信楽駅)の終着駅が信楽駅(しがらきえき)。昭和8年5月8日、国鉄信楽線の開通とともに開業した駅で、昭和62年7月13日に信楽高原鐵道に移管。信楽線唯一の有人駅で、近畿…
滋賀県彦根市鳥居本町にある近江鉄道本線の駅が鳥居本駅(とりいもとえき)。昭和6年3月15日、米原駅〜彦根駅間の開通に伴って、鳥居本村の玄関駅として開業した駅で、開業当時の駅舎が現存、国の登録有形文化財に指定されています。…
滋賀県東近江市にある近江鉄道本線・八日市線の駅が八日市駅(ようかいちえき)。明治31年7月24日、近江鉄道の本線の駅として開業した歴史ある駅で、昭和21年1月1日に八日市線が開業し、乗換駅になっています。現在の駅舎は平成…
滋賀県大津市にある京阪電気鉄道の駅がびわ湖浜大津駅。石山坂本線(石山寺駅〜坂本比叡山口駅)の途中駅、京津線(びわ湖浜大津駅〜御陵駅)の終着駅で、もともとは、鉄道黎明期の明治13年7月15日、官設鉄道の大津駅として開業した…
三重県熊野市、徐福伝説があり、徐福の里と呼ばれる波田須から南の大泊まで、標高205mの大吹峠(おおぶきとうげ)を越える峠道が熊野古道伊勢路大吹峠道。JR波田須駅〜JR大泊駅の3.5kmが峠越えのハイキングコースとして整備…
御陵駅(京都府京都市山科区)と、びわ湖浜大津駅(滋賀県大津市)を結ぶ7.5kmの線路が京阪電気鉄道・京津線。びわ湖浜大津駅で接続する石山坂本線と合わせて大津線と総称されています。上栄町駅〜びわ湖浜大津駅間の大部分が併用軌…
滋賀県大津市にある京阪電気鉄道・石山坂本線の終着駅が坂本比叡山口駅。昭和2年8月13日、琵琶湖鉄道汽船松ノ馬場駅〜坂本駅間開通に伴い坂本駅として開業した駅で、比叡山観光の拠点ということで、平成30年3月17日に坂本比叡山…
滋賀県大津市、石山寺駅〜坂本比叡山口駅の14.1kmを結ぶのが京阪電気鉄道・石山坂本線。軌道法の適用を受け、びわ湖浜大津駅〜三井寺駅間の400mは、道路を走る併用軌道、つまりは路面電車です。軌間は新幹線と同じ1435mm…
俳人、歌人の正岡子規(まさおかしき)は、慶応3年9月17日(1867年10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)で、松山藩士(御馬廻加番)の正岡常尚と八重の間に誕生。幼名は処之助で、4〜5歳の頃、「升…
松山が生んだ近代俳句の祖、正岡子規。子規堂は子規が17歳で上京するまで住んでいた湊町4丁目の旧宅を子規の菩提寺・正宗寺(しょうじゅうじ/愛媛県松山市末広町)境内に間取りを模して復元したもの。堂内には子規の子供時代の勉強部…
愛媛県松山市道後公園にある正岡子規を顕彰するミュージアムが松山市立子規記念博物館。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で秋山兄弟として主人公のひとりとして描かれる正岡子規。道後公園の一角にあり、松山が生んだ正岡子規を通して松山…
愛媛県松山市市坪西町、松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)内にある野球資料館が松山市野球歴史資料館の・ボールミュージアム。その名は正岡子規の雅号「の・ぼうる」(野球)に由来しています。子規の本名は升(のぼる)で、こ…
愛媛県松山市、松山市街の北、興居島(ごごしま)を眼前にする白石ノ鼻の突端にあるのが白石の鼻巨石群。「三ツ石」と通称されるトーナル岩(花崗岩の仲間)の巨石群で、昔から人が積み上げたという伝承がありましたが、近年、春分の日か…
愛媛県松山市三津にある、明治時代、松山、そして四国の玄関港として栄えた三津浜港にあるのが三津きせんのりば碑・子規句碑。当時の三津浜港は水深が浅かったため、沖に停泊する汽船まで艀(はしけ)で行き来しましたが、その艀が発着し…