木戸孝允旧邸・達磨堂
長州藩士の桂小五郎(かつらこごろう/維新の三傑のひとり)は、明治維新を迎え、36歳以降は木戸孝允(きどたかよし)と名乗っています。その木戸孝允が構えた京都の邸宅跡は今の京都市職員厚生会「職員会館かもがわ」の一帯。長州藩士…
長州藩士の桂小五郎(かつらこごろう/維新の三傑のひとり)は、明治維新を迎え、36歳以降は木戸孝允(きどたかよし)と名乗っています。その木戸孝允が構えた京都の邸宅跡は今の京都市職員厚生会「職員会館かもがわ」の一帯。長州藩士…
京と伏見を結ぶ舟運を目的に私財を投じて高瀬川を開削した角倉了以(すみのくらりょうい)。その角倉了以邸跡の碑は、高瀬川の起点である高瀬川一之船入(京都市中京区一之舟入町)に立っています。開削後に高瀬川の管理者となった角倉氏…
明治の初め、高瀬川一之船入周辺は大阪を京を結ぶ高瀬舟の終着地として賑わっていました。二条通りを隔てた東北側には、明治3年、工業試験場である京都舎密局が設立。明治8年、島津製作所の創業者である初代の島津源蔵は、この地を選ん…
桂小五郎(のちの木戸孝允)は、長州藩士時代、京の花街・三本木の芸妓・幾松と恋仲となり、幕末の動乱期にそのふたりが住んだのが長州藩控屋敷(現・京都市中京区上樵木町)。時に新撰組に追われながら苦難の時代を過ごしています。蛤御…
幕末動乱の京の歴史を語るとき、統幕の中心となった長州藩士・桂小五郎(かつらこごろう=維新の三傑、木戸孝允)と長州藩は欠かせません。二条を少し下がった河原町通沿いに長州藩京屋敷はありましたが現在は「京都ホテルオークラ」の敷…
京都府京都市中京区上樵木町にある、京に数ある幕末の動乱事件を今に伝える石碑が佐久間象山・大村益次郎遭難の地。公武合体派で開国論者の重鎮、佐久間象山(さくましょうざん)は、元治元年7月11日(1864年8月12日)、尊皇攘…
京都市街から伏見へと流れる高瀬川は慶長19年(1614年)、角倉了以(すみのくらりょうい)が開削した運河。船入は二条~四条間に9ヶ所つくられ、京へ運び入れる荷物の積み下ろしと船の方向転換が行なわれた場所です。唯一現存する…
京都市東区、「祇園・東山」と呼ばれる高台寺の南から清水寺にかけては、清水寺の参道である二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)、清水坂と、坂道が連続していますが、産寧坂沿いには、坂本龍馬も常宿のひとつにしていたという明保野亭(…
京都府京都市東山区、幕末勤王の志士たちを祀る京都霊山護國神社の参道が維新の道。東大路通りと京都霊山護國神社を結ぶ300mほどの参道ですが、霊山歴史館、白衣観音坐像の霊山観音(りょうぜんかんのん)、「翠紅館」跡もあり、坂本…
京・近江屋で倒れた坂本龍馬の墓は、京都霊山護國神社が管理する霊山墓地(りょうぜんぼち/京都市東山区)にあります。明治天皇から維新を目前に倒れた勤王の志士たち1043名の霊を祀るようにとの詔で建立された京都霊山護國神社。坂…
京都市中京区塩屋町にある坂本龍馬が暗殺された近江屋跡が坂本龍馬遭難之地。慶応3年11月15日(1867年12月10日)、海援隊隊長・坂本龍馬と陸援隊長・中岡慎太郎が、河原町通蛸薬師の井口新助が営む醤油屋「近江屋」で、京都…
京都市中京区にある材木商、酢屋(すや)。創業時より現在に至るまで、所在地や屋号が変わっていない老舗で、そこが坂本龍馬寓居跡(さかもとりょうまぐうきょあと)。幕末には高瀬川沿いに長州藩、土佐藩などの藩邸が建ち並び、連絡にも…
東京都港区海岸3丁目にある埠頭公園に併設される野球場が埠頭少年野球場。埠頭公園は、明治43年、白瀬矗(しらせのぶ)中尉が南極探検に出立した地でもあるのですが、大正9年に日本運動協会(芝浦協会)として日本最初のプロ野球が発…
東京都港区海岸3丁目にある港区立公園が埠頭公園。現在は埋め立てられていますが、ここが明治43年、白瀬中尉が芝浦から204tの木造船「開南丸」で日本初の南極探検に出発した場所なのです。それを記念して公園内には開南丸を模した…
東京都品川区にある江戸湾防備の浜川砲台ゆかりの公園が新浜川公園。現在の品川区立浜川中学校(東京都品川区東大井3丁目)一帯は幕末に土佐藩下屋敷(鮫洲抱屋敷)があった地。ペリーの再来航に際し、嘉永7年(1854年)、土佐藩も…
東京都荒川区、台東区・墨田区の間を流れる隅田川に架る歴史ある橋が白鬚橋(しらひげばし)。明治通りと通称される東京都道306号(王子千住夢の島線)の橋で、橋名は東岸の白鬚大明神(現・白鬚神社/墨田区東向島)に由来します。つ…
東京都足立区(北岸)と荒川区(南岸)の間を流れる隅田川に架る国道4号(日光街道)の橋が千住大橋。文禄3年(1594年)、徳川家康の関東転封に伴い、隅田川に最初に架けられた橋がこの千住大橋です。現在の旧橋(国道4号北行)は…
高知県高知市にある土佐藩祖・山内一豊とその妻・千代を祀る神社が山内神社(やまうちじんじゃ)。廃藩置県が行なわれた明治4年、土佐藩の最後の藩主であり、維新後最初の知事となった山内豊範(やまうちとよのり)が祖先の霊を祀るため…