雪の大谷
富山県立山町、立山黒部アルペンルートの最高所である室堂平は8mもの積雪がある豪雪地帯。とくに室堂ターミナルに近い500mの区間は、吹き溜まりとなって20mを超える積雪があり、雪の大谷と呼ばれています。例年、立山雪の大谷ウ…
富山県立山町、立山黒部アルペンルートの最高所である室堂平は8mもの積雪がある豪雪地帯。とくに室堂ターミナルに近い500mの区間は、吹き溜まりとなって20mを超える積雪があり、雪の大谷と呼ばれています。例年、立山雪の大谷ウ…
富山県立山町、立山駅から立山ケーブルカーで上った場所が、立山杉の生育する美女平。室堂から続く広大な溶岩台地の末端に位置し、トチノキ、ミズナラ、ホオノキなどの広葉樹、樹齢200年から300年のブナや立山杉の原生林に囲まれ、…
富山県立山町、立山黒部アルペンルート途中にある弥陀ヶ原(みだがはら)は約10万年前の立山火山噴出物によって形成された標高2000m内外の溶岩台地。日本国内では最も標高の高い所にあるラムサール条約登録湿地(「立山弥陀ケ原・…
富山県立山町、立山黒部アルペンルート途中にある弥陀ヶ原(みだがはら)は標高2000m内外の高原地帯で、溶岩台地に湿原が広がる雲上の別天地。「餓鬼の田圃」(がきのたんぼ)と呼ばれる池塘(ちとう)が散在し、高山植物の宝庫とな…
富山県富山市八尾町にある『おわら風の盆』を紹介するミュージアムが八尾おわら資料館。『おわら風の盆』の歴史は、江戸時代前期の元禄15年(1702年)に遡りますが、八尾おわら資料館は、おわら中興の祖といわれる川崎順二邸宅跡に…
『おわら風の盆』で知られる越中八尾(富山県富山市八尾町)。『おわら風の盆』は、五穀豊穣と永世の繁栄を祈る祭りで、歴史は古く江戸時代前期(元禄時代頃)からと伝えられています。その町流しが行なわれるのが石畳の敷かれた諏訪町本…
富山県富山市、神通川河口に位置する岩瀬は、北前船の重要な寄港地として繁栄した港町。加賀藩の御蔵が置かれ、廻船問屋が軒を並べた岩瀬は、北陸街道の宿場町としても発展しました。東岩瀬は、北前船全盛期の明治6年の大火で往時の町並…
富山県氷見市、越中国の国司に赴任した大伴家持(おおとものやかもち)もこよなく愛した白砂青松の地「松田江の長浜」にある植物園が氷見市海浜植物園。日本各地の海浜植物を中心に植栽展示しています。温室には、外国産のソテツやトック…
富山県魚津市の魚津漁港にある「みなとオアシス魚津」の中核となる施設が海の駅蜃気楼。富山湾で揚がる鮮魚を購入したり、味わったりできるほか、マリンゲートで「魚津埋没林博物館」と連絡。隣接して蜃気楼展望地があります。魚津港から…
越中富山藩2代藩主・前田正甫(まえだまさとし)が始めたという富山の配置家庭薬業。歴代の藩主は、「反魂丹役所」を運営するなどして薬業育成に努めましたが、明治9年に反魂丹役所が改変されて企業化したのが老舗、廣貫堂。「六神丸」…
富山県富山市宮尾にある豪農の館内山邸は、越中の豪農・内山家の邸宅だったもので、藩政時代の豪農屋敷の特徴を色濃く残す建物。内山家は16世紀前半に宮尾の地(現・富山市宮尾)で新田開発した自営の大百姓。藩政時代には十村役(とむ…
「富山の売薬」で名高い富山県富山市。薬種商は、薬の原料となる生薬などを仕入れ・製造する店で、江戸時代には製造された薬を「売薬さん」が売り歩きました。金岡家は、江戸末期から4代に渡り薬種商を営んできた旧家。売薬の歴史を今に…
富山県高岡市、重要伝統的建造物群保存地区に指定される高岡の山町筋にある商家が菅野家住宅。菅野家は明治初頭に、5代の菅野伝右衛門が北前船での北海道貿易で財を成し、6代目、7代目は明治22年に高岡銀行、明治36年には高岡電灯…
富山県高岡市、越中国の国府が置かれた高岡市伏木市街の背後(西側)にそびえる二上山。その二上山の東峰(男岳・274m)、西峰・城山(女岳・258.9m)、佛舎利山佛石寺と仏舎利塔のある鉢伏山(200m)を縫って走る全長約8…
富山県高岡市と氷見市(ひみし)の境界に位置する標高274mの山で、能登半島国定公園に指定されています。東峰と西峰からなる双耳峰で、古来より神の山として崇められてきました。越中国を見渡す山は戦略的にも重要で、中世には西峰の…
富山県高岡市、高岡の開祖である加賀藩2代藩主の墓所「前田利長公墓所」と前田利長の菩提寺である瑞龍寺を結ぶ参道が八丁道。参道の長さが八丁(約870m)あることがその名の由来です。前田利長の三十三回忌である正保3年(1646…
富山県南砺市、越中五箇山(えっちゅうごかやま)の南端、岐阜県に近い道の駅上平ささら館近くにあり、五箇山で最も大きな合掌造り家屋(国の重要文化財)が岩瀬家。加賀藩塩硝上煮役(えんしょううわにやく)の藤井長右エ門の住宅だった…
富山県南砺市、国の重要文化財に指定された村上家は、越中五箇山(えっちゅうごかやま)の代表的な合掌造りの家で、天正年間(1573~1591年)に建てられたもの。切妻造り茅葺き、一重4階建てで、合掌の部分には、かすがいなどの…