福岡三社詣
正月の初詣として、三つの神社を詣でる三社詣は西日本で行なわれ、とくに九州地方で盛んです。なかでも人気の三社詣が「福岡三社詣」で、筥崎宮(福岡市)、宮地嶽神社(福津市)、太宰府天満宮(太宰府市)を巡るもので、今も多くの巡礼…
正月の初詣として、三つの神社を詣でる三社詣は西日本で行なわれ、とくに九州地方で盛んです。なかでも人気の三社詣が「福岡三社詣」で、筥崎宮(福岡市)、宮地嶽神社(福津市)、太宰府天満宮(太宰府市)を巡るもので、今も多くの巡礼…
和歌山県和歌山市にある、社伝によれば垂仁天皇16年に現在地に遷座したという西国屈指の古社が日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)。同じ境内に日前神宮、國懸神宮という2つの神社があり、総称して日前宮(に…
東京都台東区の上野恩賜公園にある不忍池(しのばずのいけ)の中島にあるのが寛永寺・不忍池辯天堂。寛永寺開山の天海僧正が、江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1645年)に創建したもので、祀られる本尊は、八本の腕があり、煩悩…
東京都台東区上野公園にある天台宗の寺、護国院。寛永2年(1625年)、天海僧正が東叡山寛永寺を開山したのと同時に、天海の命により東叡山寛永寺最初の子院として生順が創建。宝永6年(1709年)に現在地に移転しています。谷中…
東京都台東区、谷中墓地の一画、JR日暮里駅近くにある天台宗の寺が天王寺。鎌倉時代後期、土豪関長耀が当地に立ち寄った日蓮聖人に帰依して草庵を結んだのが始まりで、江戸時代に輪王寺宮公弁法親王を願主に、5代将軍徳川綱吉を大檀那…
東京都台東区谷中にある臨済宗妙心寺派の禅寺が長安寺(ちょうあんじ)。江戸で最古の七福神巡りという『谷中七福神』の寿老人を祀っています。長安寺の寿老人像は徳川家康の寄進と伝えられる等身大の寄木彫刻で、左脇に鹿を従えた座像で…
江戸近郊の行楽地として賑わった日暮の里(ひぐらしのさと)。荒川区西日暮里にある日蓮宗の寺、修性院(しゅしょういん)。妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺とともに花見寺とも呼ばれ、歌川広重の『名所江戸百景』の「日暮里寺院の林泉」…
江戸時代の中頃から「日暮の里」(ひぐらしのさと)といわれ東京都荒川区西日暮里にある臨済宗妙心寺派の寺、青雲寺。江戸時代に花見の場所として賑わったことから、「花見寺」とも呼ばれ、周辺の月見寺(本行寺)、雪見寺(浄光寺)とあ…
鳥羽港(三重県鳥羽市)と伊勢湾を隔てた伊良湖岬(いらごみさき/愛知県田原市)先端の伊良湖港を結ぶ伊勢湾フェリー(本社:三重県鳥羽市)が、元旦に鳥羽港発、伊良湖港発の『洋上初日の出クルーズ便』を運航します。対岸で下船しなけ…
伊勢神宮の奥の院として機能した朝熊山(あさまやま)。そんな朝熊山を通って伊勢と鳥羽を結ぶ、全長16.3kmの伊勢志摩スカイライン途中の絶景ポイントが朝熊山頂展望台(三重県伊勢市)。恋人の聖地(サテライト)に選定された「天…
三重県伊勢市、朝熊山(あさまやま)の山上に建ち、創建は欽明天皇の御代(6世紀後半)と伝えられる臨済宗南禅寺派の古刹が金剛證寺(こんごうしょうじ)。神宮(伊勢神宮)の鬼門を守る寺として、昔から神宮との関係も深く、「お伊勢参…
東京都北区田端にある真言宗豊山派の寺、東覚寺(とうがくじ)。延徳3年(1491年)、神田に創建し、その後、根岸を経て江戸時代初めに現在の地に移りました。山門の石造金剛力士立像は、病を患った部分に赤い紙を貼るという赤紙仁王…
京都府宇治市にある黄檗宗大本山、黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。その本堂となるのが大雄寶殿(だいおうほうでん)で萬福寺最大の堂宇。寛文8年(1668年)の築で国宝に指定されています。ここで上げられるお経は、今も中…
京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。江戸時代初期に明から来日した黄檗宗の開祖・隠元がもたらした中国風の伽藍が、禅宗らしい凛とした空気の中にも優美な雰囲気を醸し出していますが、その玄関ともいえるのが天…
京都府宇治市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山、萬福寺(まんぷくじ)。近世(江戸時代)に開宗した黄檗宗の中心寺院・萬福寺の総門をくぐると右手に放生池、その先に三門があり、天王殿、大雄宝殿、さらに奥に法堂が一直線に並ん…
京都府宇治市にある黄檗宗大本山の萬福寺(まんぷくじ)。その正門にあたるのが総門。中国僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が創建したという寺だけあって、総門も中国風。これは萬福寺全体が中国の明時代末期頃の様式で造られている…
寛弘元年(1004年)、雌鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖(かわひじり)と呼ばれた行円が創建したのが京都市中京区にある天台宗の寺、革堂(行願寺)。境内にある寿老人神堂には日本最古の七福神といわれる『都七福神』の寿…
踊り念仏で知られる空也創建の京の名刹、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)。江戸時代までは大伽藍を有していましたが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で寺域を大幅に縮小し、今では本堂、弁財天堂(弁天堂)、宝物収蔵庫のみとなっています。…