武雄の大楠
佐賀県武雄市に鎮座する武雄神社の御神木が武雄の大楠。樹高30m、幹回り20m、枝張り東西30m・南北33mで、日本の巨木ランキングの第6位の巨樹です。推定樹齢3000年以上という老木のため、根元の内部は空洞となっています…
佐賀県武雄市に鎮座する武雄神社の御神木が武雄の大楠。樹高30m、幹回り20m、枝張り東西30m・南北33mで、日本の巨木ランキングの第6位の巨樹です。推定樹齢3000年以上という老木のため、根元の内部は空洞となっています…
明治時代〜大正時代の政治家で、内閣総理大臣(第8・17代)、そして早稲田大学の創設者・大隈重信(おおくましげのぶ)が、天保9年2月16日(1838年3月11日)の誕生から東京へ移るまで過ごした生家が大隈重信旧宅として佐賀…
佐賀市の佐嘉神社境内にある安永元年(1772年)、佐賀藩鍋島家の始祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ)を祀るために創建された神社が松原神社。鍋島直茂の法号(高伝寺殿日峯宗智大居士)から日峯(にっぽう)大明神(日峯宮)と称して…
佐賀県多久市にある多久聖廟(たくせいびょう)は、宝永5年(1708年)、多久鍋島家4代・多久茂文(たくしげふみ)が、儒学の祖・孔子を祀るため、邑の学問所(後の東原庠舎)に建てた孔子廟。現存する孔子廟(孔子を祀るお堂)とし…
焼き物の町、有田らしい塀がトンバイ塀。トンバイとは耐火レンガのことで、解体した登り窯の不要になったレンガや窯道具、陶片を赤土で塗り固めて造られたのがトンバイ塀です。現代流にいえばリサイクル品活用の壁で、路地に有田ならでは…
宮崎県日南市の古来、貿易で栄えた油津にある古社が吾平津神社(あひらつじんじゃ)。社伝によれば和銅2年(709年)創建で、かつては乙姫大明神と称し、江戸時代、飫肥11社の一社として歴代飫肥藩主の尊崇を受けていました。社前の…
日本の棚田百選に選定の日南市の棚田が坂元の棚田。日南市の最高峰である小松山(988.8m)の南斜面3.5haを利用して70枚の棚田が造られています。もともとは茅葺き屋根を葺く茅(かや)を刈る茅場でしたが、大正末から棚田へ…
貞享3年(1686年)、飫肥杉(おびすぎ)を広渡川から油津湊へと運ぶために、飫肥藩主・伊東祐実の命で開削されたのが全長900mの堀川運河。その運河の吾平津神社社前に架かる石橋が堀川橋です。明治36年8月に飫肥の石工・石井…
神仏習合時代に、霊峰・高千穂峰を取り囲む聖地に祀られた霧島六所権現(霧島六社権現)のひとつが都城市の東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)。神仏習合の江戸時代までは東霧島権現で、現在の主祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。御…
飫肥藩(おびはん)が飫肥杉を広渡川から油津湊まで運ぶために開削した運河が日南市油津にある堀川運河。天和3年(1683年)、飫肥藩主・伊東祐実(いとうすけざね)の命で着工し、28ヶ月の歳月をかけて完成しています。この運河の…
宮崎県日向市の日向岬にある灯台が細島灯台。その歴史は古く、九州諸藩の参勤交代の際、瀬戸内海から大坂(現・大阪)へと向かう船の着岸する湊が細島だったため、航路を守る常夜灯が築かれたのが始まり。明治43年5月10日に近代的な…
クルス(cruz)はポルトガル語で十字、十字架の意味(ラテン語:crux)。宮崎県日向市の日向岬の海岸で、柱状節理の発達した岩礁が浸食で節理に沿って東西200m、南北220mに裂けており、上から見ると十字に見えるのでクル…
日豊海岸国定公園に指定されるリアス式海岸の代表的な景観が宮崎県日向市の日向岬(ひゅうがみさき)。日向岬・細島灯台の東側、奥行き200m、幅10mの細長い入江の両岸に高さ70mの垂直に切り立った断崖が続いているのが馬ヶ背で…
天孫降臨伝説の地、宮崎らしく神武天皇を主祭神とする歴史ある神社が宮崎市神宮に鎮座する宮崎神宮。地元・宮崎では「神武さま」と親しまれています。社伝によれば神武天皇の孫で、阿蘇開拓の神でもある健磐龍命(たけいわたつのみこと)…
宮崎県綾町に城跡のある綾城(あやじょう)は、元弘年間(1331年〜1334年)に足利幕府(足利尊氏)の重鎮・細川一族の細川義門が綾に下向し、その子・細川義遠が収納使として綾を領有し、山城を築いたのが始まり。当時細川一族は…
昭和59年に、東洋一といわれる原始性の高い照葉樹林を縫って流れる綾南川に架けられた吊り橋が綾の照葉大吊橋。長さ250m、水面からの高さ142mのスケールは、歩いて渡る吊橋としては九重“夢”大吊橋(高さ173.0m)に次い…
幸島(こうじま)は、宮崎県南端、串間市石波海岸の沖合200m、日向灘に面した石波湾に浮かぶ周囲3.5kmの小さな島。野生猿が棲息し、「幸島サル生息地」として国の天然記念物に指定されています。イモを海水で洗って食べることで…
全国でも珍しい野生馬の生息地、宮崎県串間市の都井岬(といみさき)は、元禄10年(1697年)に高鍋藩秋月種政が軍用馬と農耕馬を集め、都井村御崎牧に放牧したのが始まり。その御崎牧は現在、都井岬放牧地となり、現在も120頭ほ…