芝川第一調節池
埼玉県さいたま市緑区、川口市にまたがる荒川の支流・芝川(桶川市と上尾市が源流で、見沼田圃を流れ、荒川に合流)の洪水抑制を目的として築かれた計画調節容量284万トンという人工の池が、芝川第一調節池。芝川第一調節池の東には、…
埼玉県さいたま市緑区、川口市にまたがる荒川の支流・芝川(桶川市と上尾市が源流で、見沼田圃を流れ、荒川に合流)の洪水抑制を目的として築かれた計画調節容量284万トンという人工の池が、芝川第一調節池。芝川第一調節池の東には、…
埼玉県川越市にある川越藩の藩庁だった城が、川越城。その大手口(玄関口)となる大手門の遺構は残されていませんが、川越市役所前に太田道灌の像とともに、川越城大手門跡の石碑が立っています。大手門は城の南に、南大手門(南門)もあ…
埼玉県川越市にある川越城・三の丸跡(八幡曲輪跡)に建つ県立川越高校の校庭南にあるのが、川越城・富士見櫓跡。こんもりとした鎮守の森のように見える一画に建っていたのが、富士山を眺望できたことが名の由来という富士見櫓。代用天守…
埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する三芳野神社境内(末社大黒社近く)にあるのが、わらべ唄発祥の所碑。実は三芳野神社(藩政時代は三芳野天神)の参道が、童謡『通りゃんせ』に歌われる「天神さまの細道」といわれることから…
埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する古社が、三芳野神社(みよしのじんじゃ)。本丸御殿とともに、藩政時代から変わらない位置関係で、川越城の本丸内にあった、川越藩、そして3代将軍・徳川家光ゆかりの神社です。また童謡『通…
埼玉県秩父郡長瀞町を走る埼玉県道82号(長瀞玉淀自然公園線)にある桜の名所が、法善寺のシダレザクラ。「長瀞の桜」は、荒川の西岸沿い、北桜通り(長瀞駅〜高砂橋の4km)の桜並木が有名ですが、高砂橋を渡った対岸の法善寺に…
埼玉県大里郡寄居町と深谷市の境に位置し、南は荒川に臨む標高329.8mの山が鐘撞堂山。東の山腹、深谷市側には霧ヶ谷津池を中心に鐘撞堂山ふるさとの森が広がっています。また西麓には円良田湖があり、登山の起点にもなっています。…
埼玉県比企郡ときがわ町、小川町、秩父郡東秩父村の町村界に位置する標高875.9mの峰が、堂平山(どうだいらさん)。北の笠山、北西の大霧山と並んで比企三山の一座で、山頂には一等三角点が配されています。比較的に平坦な山頂を利…
埼玉県比企郡ときがわ町、雀川砂防ダム(すずめがわさぼうだむ)の建設に伴い、周辺の自然環境の保全を目的に築かれた公園が、雀川砂防ダム公園。お花見・イベント広場、渓流広場、展望広場の3つのゾーンに分かれ、初夏(6月)には植…
埼玉県東松山市にある農業用のため池を再生した公園が、下沼公園。東松山市内には今も100を超えるため池が現存していますが、貯水量2万立法メートルのため池が下沼。東武東上線・東松山駅に近い市街地にあり、周囲に桜が植栽され、絶…
埼玉県東松山市にある農業用のため池を再生した公園が、上沼公園。東松山市内には今も100を超えるため池が現存していますが、貯水量1万1600立法メートルのため池が上沼。東武東上線・東松山駅から徒歩15分ほどの市街地にあり、…
埼玉県比企郡ときがわ町、堂平山(どうだいらさん/875.9m)を源とする都幾川(ときがわ)の支流、七重川に築かれた砂防ダム群が、七重川砂防堰堤群(ななえかわさぼうえんていぐん)。大正6年~昭和25年に築かれた砂防ダムで、…
埼玉県さいたま市岩槻区、岩槻城址公園テニスコートの南側にあるのが、岩槻城・黒門。明治4年の廃藩置県で、岩槻藩の藩庁だった岩槻城は廃城となり、埼玉県の誕生とともに、黒門も浦和に移されて埼玉県庁正門などに利用されましたが、昭…
埼玉県さいたま市岩槻区、「人形の東玉」で知られる東玉岩槻総本店の4階にあるのが、人形の博物館。ひな人形、五月人形で有名な東玉ですが、ひな人形、五月人形はもちろん、御所人形、羽子板、破魔弓、からくり人形、現代作家名匠の逸品…
埼玉県さいたま市岩槻区に令和2年2月22日に開館した人形の町・岩槻(いわつき)の歴史を紹介するさいたま市立のミュージアムが、岩槻人形博物館。人形や人形文化に関する資料の収集・保存を目的とし、「埼玉の人形作り」、「コレクシ…
埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺、岩殿観音正法寺(いわどのかんのんしょうぼうじ)。正式名は巌殿山正法寺ですが、岩殿観音と通称されています。寺伝によれば養老年間(717年〜724年)創建という古刹で、坂東三十三観音第1…
埼玉県東松山市、東松山駅東口近くにある和銅5年(712年)の創建と伝えられる古社が、箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)。祭神は保食神(うけもちのかみ)で、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全にご利益があるとか。現存する本殿は…
埼玉県東松山市にある東武東上線の高坂駅から日本セメント(現・太平洋セメント)の工場とを結ぶ専用線の跡が、日本セメント東松山専用鉄道跡。昭和30年10月に原料搬入のための専用線として敷設され、昭和59年7月31日に廃線にな…