絶景! 夏休みは涼しい高原の宿へ!(3)日光アストリアホテル
うだるような暑さを逃れて、夏は涼しい高原の宿へ! その3は、栃木県日光市、奥日光・光徳牧場近くに建つ、日光アストリアホテル。奥日光の隠れ宿的なリゾートホテルで、戦場ヶ原ハイキングの基地にも絶好。しかもペット同伴での宿泊も…
うだるような暑さを逃れて、夏は涼しい高原の宿へ! その3は、栃木県日光市、奥日光・光徳牧場近くに建つ、日光アストリアホテル。奥日光の隠れ宿的なリゾートホテルで、戦場ヶ原ハイキングの基地にも絶好。しかもペット同伴での宿泊も…
うだるような暑さを逃れて、夏は涼しい湖畔の宿へ! その2は、奥日光・中禅寺湖の湖畔(栃木県日光市)の森のなかに建つ、中禅寺金谷ホテル。昭和15年7月16日に外国人受け入れの国策ホテルとして避暑地・中禅寺湖に誕生した日光観…
栃木県日光市、東武日光駅前広場に静態保存されるのが、日光軌道線100形車両。昭和43年に廃線となった路面電車、東武日光軌道線で活躍した昭和28年製造の車両で、国鉄の日光駅前と、現・いろは坂下の馬返を結んでいました。
栃木県栃木市、永野川左岸にある後期旧石器時代〜縄文時代の複合遺跡が、星野遺跡。一帯は星野遺跡憩いの森として整備され、縄文時代前期の居住跡1棟、中期の居住跡1棟、中期の倉庫跡1棟の3棟が復元されています。
栃木県栃木市、昭和3年築の旧栃木駅舎を栃木市総合運動公園西側に移築保存したのが、旧栃木駅舎保存館(魔方陣スーパーカーミュージアム)。官設鉄道両毛線時代の昭和3年に建設された洋風の駅舎で、両毛線の高架化工事のため、撤去され…
栃木県下野市にある国の史跡に指定される古代寺院の跡が、下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)。7世紀末、下野一帯を治めていた豪族、下毛野朝臣古麻呂(しもつけぬのあそんこまろ)によって創建されたと伝えられる氏寺、薬師寺の跡で…
栃木県真岡市にある二宮尊徳が報徳仕法と呼ばれる農業政策(財政再建策)で、飢饉などで荒廃した農村を建て直したかを、実践した桜町で解説するミュージアムが、二宮尊徳資料館。二宮尊徳が赴任して26年間暮らした桜町陣屋の跡地横に建…
栃木県真岡市の桜町陣屋跡近くにある二宮尊徳(二宮金次郎)を祀る神社が、桜町二宮神社。二宮尊徳没後50年の明治38年に、二宮尊徳の遺徳を偲び、ゆかりの地である桜町陣屋内に創建された神社。没後80年の昭和11年に現在の位置に…
栃木県真岡市にある曹洞宗芳全寺(真岡市久下田801)の末寺が、蓮城院。二宮尊徳(二宮金次郎)の娘・文子、二宮尊徳の遺髪が埋葬される二宮尊徳墓域として有名。歴代領主である稲葉氏、大久保氏(小田原藩)、宇津氏の庇護を受けまし…
栃木県日光市中宮祠、中禅寺湖の最奥、湖の西端に位置する汀線2kmほどの砂浜が、千手ヶ浜。仏教的な浜の名は、日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)が、霊峰・男体山を仰ぐ一等地のこの地で千手観音を感得し、千手堂を建立…
栃木県日光市、下り専用の第1いろは坂(6.5km)途中にある展望駐車場が、剣ヶ峰展望所。昭和29年10月1日に開通した日光道路が前身の第1いろは坂は、男体山の沢筋を間近に眺めて走りますが、剣ヶ峰展望所からも方等滝(ほうと…
栃木県日光市、中禅寺湖スカイラインと通称される栃木県道250号(中宮祠足尾線)途中にある展望台が中禅寺湖展望台。かつては中禅寺湖有料道路だった道で、今も半月山駐車場で行き止まりになっていますが、半月山展望台とともに二大ビ…
栃木県日光市、奥日光の戦場ヶ原の西にある周囲3kmほどの湿原が、小田代原(おだしろがはら)。湯ノ湖から流れる湯川の西側にあり、「小田代原の貴婦人」と呼ばれるシラカンバの木は、被写体に人気です。湿原の周囲をミズナラが囲み、…
栃木県日光市の日光山内と中禅寺湖の段差を克服するヘアピンカーブが連続する坂道のひとつが、第1いろは坂。第1いろは坂(6.5km)は下り専用、第2いろは坂(9.5km)は上り専用で日光山内側では馬返で分岐。もともとあった坂…
栃木県日光市の日光山内と中禅寺湖の段差を克服するヘアピンカーブが連続する坂道のひとつが、第2いろは坂。第1いろは坂(6.5km)は、下り専用、第2いろは坂(9.5km)は上り専用で日光山内側では馬返で分岐しています。明智…
栃木県日光市、中禅寺湖の南岸の半月山へと登るハイキングコースの途中、標高1620m地点にある展望地が、茶ノ木平。中禅寺湖の全景、男体山を眺められる場所として人気のビュースポット。温泉街からの中禅寺温泉ロープウェイが廃止さ…
栃木県日光市、奥日光の戦場ヶ原の南西、中禅寺湖の最奥部に眠る秘湖が、西ノ湖(さいのこ)。かつては中禅寺湖の入江だった場所で、土砂の堆積で切り離されてできた遺留湖。「奥日光の湿原」の一部としてラムサール条約に登録。周囲は自…
栃木県栃木市西方町を流れる思川(おもいがわ)に築かれた歴史ある堰が、小倉堰(おぐらぜき)。慶長8年(1603年)、下野西方藩初代藩主・藤田信吉(ふじたのぶよし)が築いた農業用の堰が前身で、昭和28年に全長175m、幅11…