姫路城・にの門
菱の門から始まった二の丸の最奥の位置にあるのが乾曲輪(いぬいくるわ)です。堅固な門の「はの門」をくぐると、さらに隅櫓式櫓門の「にの門」が待ち構えています。江戸時代初期の慶長年間築の門が残され、国の重要文化財に指定されてい…
28兵庫県菱の門から始まった二の丸の最奥の位置にあるのが乾曲輪(いぬいくるわ)です。堅固な門の「はの門」をくぐると、さらに隅櫓式櫓門の「にの門」が待ち構えています。江戸時代初期の慶長年間築の門が残され、国の重要文化財に指定されてい…
28兵庫県姫路城の登城ルートで、高麗門の「ろの門」をくぐると、国の重要文化財に指定の櫓門「はの門」へと続く長い坂道となります。「はの門」は坂の上にあり、坂の下から見あげると、正面に天守閣が見え、敵に天守閣がすぐそこだと錯覚するよう…
28兵庫県菱の門、「いの門」を突破すると、その先にあるのが「いの門」と同様の高麗門である「ろの門」。江戸時代初め、慶長年間築の脇戸付高麗門がそのままに現存し、国の重要文化財に指定されています。美しい高麗門連続で防備が甘いかといえば…
28兵庫県姫路城の城攻めの際に、菱の門を突破した敵軍は、三国堀の脇をまっすぐ進めば「いの門」で、正規の登城ルートとなりますが、右手にとれば一見行き止まりな感じがしますが、実は石垣の陰に隠れて門が配されています。これが「るの門」です…
28兵庫県菱の門をくぐった正面に位置する門が姫路城「いろは門」(現存するのは13門)の最初となる「いの門」です。慶長年間に築かれた脇戸付きの高麗門(こうらいもん)が現存し、国の重要文化財に指定されています。
28兵庫県姫路城の菱の門を入ったところにある四角い堀が三国堀(さんごくぼり)。ここで登城道は左手へ「いの門」へと続く二の丸本道と、右手の「るの門」へと導く間道の二手に分かれますが、その要所をおさえる重要な位置に築かれた堀です。水確…
28兵庫県姫路公園に入り大手門をくぐると三の丸広場。広場を抜け、登城券売場で入城券を買い、最初に目にするのが二の丸の入口を固める菱の門となります。城内にある21門のうちで最大の門で、柱や扉はケヤキ材を使っていますが、両柱の上の冠木…
28兵庫県大手門をくぐった先が三の丸。芝生の広がる三の丸広場にはかって、向屋敷御殿、武蔵野御殿、三の丸御殿、数奇屋などがびっしりと並び、石垣上には3層の櫓が3基、2層の櫓7基が多聞櫓と結ばれていました。天下泰平の世になると播磨姫路…
18福井県1471(文明3)年から戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した城下町の跡が一乗谷朝倉氏遺跡。昭和42年から行なわれた調査で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で…
32島根県月山富田城 島根県安来市を流れる富田川(とだがわ)の東岸、標高183.8mの月山(がっさん)の山上にある周囲1.5km四方という大規模な中世の山城が月山富田城(がっさんとだじょう)。戦国時代に一大勢力を誇った尼子氏の居城…
城跡・陣屋跡佐賀城に残る鯱の門は、1835(天保6)年から始まる本丸再建に際し、本丸の門として1838(天保9)年に完成したもので続櫓とともに国の重要文化財に指定されています。佐賀城に残る貴重な遺構で、明治7年の佐賀の役の際の弾痕が…
41佐賀県佐賀市にある佐賀城跡は、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城の跡。もとは戦国大名・龍造寺氏の居城だった村中城を、家臣でのちに佐賀藩主となる鍋島直茂、勝茂が拡張したもの。慶長年間に着手、1611(慶長16)年に完成しています。以来…
41佐賀県発掘調査、佐賀城御本丸差図、文献資料・古写真などを基にして正確な位置に木造で復元した佐賀城の本丸御殿の一部が佐賀県立の佐賀城本丸歴史館。木造復元建物としては日本最大級の2500平方メートルを誇っています。御座の間だけは、…
38愛媛県伊予松山藩2代城主・蒲生忠知(がもうただちか)の治世(1627年~1634年)に完成下と伝えられる二之丸。政庁である表御殿と、藩主やその家族の生活の場である奥御殿に分かれていましたが、表御殿跡にあるのが大井戸遺構。生活用…
38愛媛県伊予松山藩2代藩主・蒲生忠知(がもうただとも)が築いた邸宅跡を庭園としたのが松山城二之丸史跡庭園。絵図を基に、邸宅の間取りと庭園を再現しています。松山城は、山上にあり、太平の世には不便であることから、伊予松山藩の政庁とし…
38愛媛県松山城本丸の太鼓櫓・太鼓門・太鼓門東続櫓・巽櫓と連続する防備を抜けると、南北に長い本丸の台地に立つことになります。ここにあるのが本丸井戸。本丸の台地はもともと南北に長かったわけではなく、実は南峰、北峰の峰があり、その谷間…
38愛媛県松山城の天守の建つ本壇(天守曲輪)の西端、高石垣の上に連続して建つ棟。南北に隅櫓が配され、その間を十間廊下が繋いでいます。北隅櫓は、北隅櫓は小天守北ノ櫓とか戊亥小天守、南隅櫓は申酉小天守とも呼ばれ、天守に次ぐ格式をもつ櫓…
38愛媛県十間廊下は天守の建つ本壇(天守曲輪)の西側を防衛する重要な櫓で多聞櫓形式。北隅櫓と南隅櫓を連結する通路にもなっていて、桁行が10間あることが名の由来です。天守西側の防備を担っており、石垣を登る敵兵に対して石を落とす石落し…