デ・レーケ導流堤(若津港導流堤・筑後川導流堤)
明治16年、明治政府がお雇い外国人の一人、オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケを招き、筑後川河口の土砂の堆積防止、若津港の航路確保のために築いたのが若津港導流堤(筑後川導流堤)。設計者のデ・レーケの名を採ってデ・レーケ導流…
明治16年、明治政府がお雇い外国人の一人、オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケを招き、筑後川河口の土砂の堆積防止、若津港の航路確保のために築いたのが若津港導流堤(筑後川導流堤)。設計者のデ・レーケの名を採ってデ・レーケ導流…
宮城県東松島市の鳴瀬川河口にある明治時代の港湾施設の遺構が野蒜築港。明治政府が近代港湾として最初に着手した国家的プロジェクトがこの野蒜築港です。明治11年に着工、4年後に内港地区が完成し、国際貿易港を目指して外港部分の工…
静岡県浜松市北区と天竜区の境、天竜川に架る国道362号の道路橋が鹿島橋(かじまばし)。昭和12年に架橋されたレトロな橋は、現存する戦前では最大スパンの上曲弦カンチレバートラスで、土木学会の土木遺産になっています。鹿島橋が…
福井県坂井市にある三国港は、宮城県の野蒜築港(のびるちくこう)、熊本県の三角西港(みすみにしこう)と並んで、明治三大築港のひとつ。九頭龍川河口右岸から港西片に突き出している三国港突堤は、明治11年、政府が派遣したオランダ…
木曽川本流が木曽谷から流れ出る中流部、現在の岐阜県恵那市、中津川市(旧蛭川村)に大正11年に着工、大正13年に完成した大井ダム。後に電力王として知られる福沢桃介率いる大同電力が築いたダムで、日本最初のダム式発電所、そして…
長野県小谷村にある昭和12年架橋のレトロなコンクリートアーチ橋が親沢橋。長野県技師・中島武の創意によって生まれた世界最初の鉄筋コンクリート・ローゼ桁橋で、同じ小谷村の姫川橋などとともに土木学会の土木遺産に認定されています…
長野県小谷村、姫川支流の蒲原沢(新潟・長野県境)に昭和11年架橋された橋が国界橋(こっかいばし)。国道148号旧道にかかる全長48.2m、最大支間長31mのトラス橋で、土木学会の「日本の近代土木遺産」(現存する重要な土木…
富山県中新川郡立山町芦峅寺、常願寺川を渡る富山地方鉄道の橋梁が千垣橋梁。大正中期から常願寺川の電源開発を行なうため、建設資材運搬用に県営の鉄道建設を計画。千垣橋梁は、昭和12年に完成した全長117mの鋼スパンドレルブレー…
富山県富山市本宮、常願寺川の中流部(常願寺川河口から26.8km)にある昭和12年完成の砂防堰堤で、国の重要文化財(昭和期の砂防堰堤としては、立山カルデラ出口に建設された白岩砂防堰堤に次いで全国第2号)。堤高22m、長さ…
富山県砺波市庄川町小牧にある水力発電用のダム(重力式コンクリートダム)が小牧ダム。昭和5年、庄川に築かれたアーチ曲面の美しい重力式ダムで、堤高79.2mで完成当時は「東洋一のダム」。アメリカの技術者を招聘して築かれたダム…
栃木県佐野市下彦間町と栃木県足利市名草中町とを結ぶ栃木県道208号(飛駒足利線)の峠越えのトンネル。明治14年に地元の戸長、田島茂平が私財を投げ売って着工、8年がかりで掘り上げた「須花の手掘りトンネル」(明治のトンネル)…
岩手県和賀郡西和賀町(旧・湯田町)を流れる和賀川(わがかわ)を堰き止め、昭和39年に完成した重力式アーチダムが湯田ダム。堤高89.5m、洪水調節、不特定利水、水力発電を目的とした多目的ダムで、ダム湖は10月中旬~10月下…
兵庫県美方郡香美町にある展望タワーが余部鉄橋「空の駅」展望施設。明治45年3月1日開通の旧余部橋梁が、架け替えられ平成22年8月12日から新しい橋梁の供用が開始されたのに伴って旧余部橋梁の西側の橋脚部分の一部を活用し建設…
新潟県長岡市山古志地区の東端・小松倉集落と旧広神村(現・魚沼市)を結ぶ、全長877mの手掘りのトンネルが中山隧道(なかやまずいどう)。のべ3000人以上の小松倉集落住民の労働奉仕で、つるはしだけで掘ったという隧道は、人が…
神奈川県相模原市緑区を流れる相模川に架る4径間連続の美しいアーチ橋が小倉橋(おぐらはし)。相模川に架かる橋梁としては現存する最古の橋で、昭和13年開通。開通以前には小倉の渡しという渡船がありました。土木学会選奨土木遺産、…
鹿児島県鹿児島市の鹿児島港北埠頭の岸壁にあるのが鹿児島港旧石積防波堤。もともとは江戸時代末期の弘化・嘉永年間(1844年〜1853年)に築造された新波止に、島津斉彬(しまずなりあきら)が沖合に石積み防波堤を築き、大砲を備…
長崎県南島原市、口之津港の入口、土平崎の高台に建つのが口之津灯台。明治13年5月10日に初点灯という歴史ある灯台です。明治時代に三池炭鉱で採掘された石炭の積出港として栄えた長崎県南島原市口之津港の入口に建設された、八角形…
慶長年間(1596年〜1615年)、名古屋城築城の資材運搬のために福島正則(ふくしままさのり)が掘削した堀川。その後、大正15年に掘削差された中川運河。中川運河は支線で堀川と結ばれていますが、実は水位が2mも違っているの…