島崎酒造(洞窟酒蔵)
栃木県那須烏山市にある「東力士」の銘柄で知られる酒蔵が島崎酒造。嘉永2年(1849年)創業という老舗の酒蔵で、第二次世界大戦末期に戦車製造のために掘削された地下工場跡が洞窟酒蔵になっており、仕込み時期を除いた土・日曜、祝…
栃木県那須烏山市にある「東力士」の銘柄で知られる酒蔵が島崎酒造。嘉永2年(1849年)創業という老舗の酒蔵で、第二次世界大戦末期に戦車製造のために掘削された地下工場跡が洞窟酒蔵になっており、仕込み時期を除いた土・日曜、祝…
岩手県遠野市、国道283号と宮守川をまたいで架かるJR釜石線の鉄道アーチ橋で「めがね橋」と通称されるのが宮守川橋梁。もともとは大正4年に開通した岩手軽便鉄道の橋梁だったもので、隣接して石造だった架橋当時の橋脚が残されてい…
大分県竹田市、大野川水系の緒方川に架かる6連の灌漑用石造アーチ橋が明正井路水路橋(明正井路一号幹線一号橋)。大正8年築造で、橋の長さは78mで、日本最大規模の水路用石造アーチ橋として、土木学会選奨土木遺産にも選定。現在で…
大分県竹田市、大野川水系の大谷川を水源とする、「音無井路十二号分水」とも呼ばれる円形の分水施設が音無井路円形分水(おとなしいろえんけいぶんすい)。宮砥(みやど)周辺の灌漑用水として昭和9年に完成したもので、円筒に空いた2…
群馬県甘楽町小幡を流れる雄川堰は、標高1370mの稲含山を水源とする雄川の中流部、厳島地区から取水し、武家屋敷の生活用水にもなった水路。現存する用水は慶応元年(1865年)に築かれたもので、環境省の「名水百選」、農林水産…
群馬県片品村の丸沼と大尻沼の間、狭まった場所に昭和3年、東京電燈(現・東京電力)の子会社、上毛電力によって建設された発電用のダム。コンクリートの止水壁を鉄筋コンクリートの壁で支えるという国内では珍しいバットレスダムで、国…
広島県呉市にある因島。因島大橋のたもとにある明治27年初点灯の大浜埼灯台横にある白い3基の信号塔屋が、旧大浜埼船舶通航潮流信号所(きゅうおおはまさきつうこうちょうりゅうしんごうしょ)。明治時代に設置された木造の船舶通航信…
関門海峡を隔てる九州側と本州・下関側に、緊迫するアジア情勢を背景に、明治20年から築かれたのが下関要塞。清国の北洋艦隊や、ロシアのバルチック艦隊の来襲を念頭に、榴弾砲などを備える砲台を築いたのですが、そのうちのひとつが火…
日本海へと流れ出る阿賀野川水系の一級河川である日橋川の水門で、猪苗代湖の湖口に位置するのが十六橋水門。明治13年、安積疏水事業の一環として猪苗代湖ダム化のために水門を兼ねた16径間の石造アーチ橋が建設されたのが始まり。大…
大阪湾の入口を守備する目的で明治時代に築かれた由良要塞は、同時期に築かれた首都東京を守る東京湾要塞と比肩する大規模な要塞。その中心的な友ヶ島灯台には5ヶ所の砲台が築かれていましたが、島の西端に設けられた第一・第二・第五砲…
淡路島の由良地区から和歌山市加太の深山地区に至る紀淡海峡を防備するために日清戦争前の明治22年頃から築かれ始めたのが友ヶ島の砲台群。由良要塞の中央に位置する重要な砲台で、友ヶ島には5つの砲台が設置されましたが、友ヶ島第三…
紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ地ノ島、沖ノ島、神島、虎島の総称が、友ヶ島。明治〜第2次大戦までは旧日本軍の軍用地で、対岸の加太(かだ)などとともに由良要塞を形成していました。沖ノ島には今でも弾薬庫、軍馬舎、官舎などが残り…
吉野川橋は、徳島市を流れる一級河川吉野川にかかるワーレントラス橋で、昭和3年12月18日の完成。全長1070.2mで、架設当時その長さは東洋一といわれました。現在も県道39号の橋として現役の橋です。吉野川北岸から吉野川橋…
愛媛県内子町の文化財に指定される河内(かわのうち)地区の屋根付き橋が田丸橋。昭和18年の洪水で流出しましたが翌年には再建されています。木炭製造の盛んだったころは出荷の際の炭俵の保管倉庫、農作物の保管場所、農作業途中の休憩…
美馬市脇町の中心を流れる大谷川の堰堤で、大谷川砂防堰堤が正式名ですが、砂防の重要性を説いたオランダ人技師(内務省技術顧問)・ヨハニス・デ・レイケ(ヨハニス・デ・レーケ/Johannis de Rijke)の指導で明治19…
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」、経済産業省の近代化産業遺産、さらに土木遺産や、重要文化的景観にも選定されるのが熊本県宇城市の三角西港。そのシンボル的な存在が、明治時代の築港が今も残る石…
熊本県宇城市にある三角西港は、宮城県の野蒜港、福井県の三国港と並ぶ明治3大築港のひとつで、明治17年から4年の歳月を費やして造られた石積みの港。730mにもおよぶ石積埠頭や石積排水路が築港当時のままに現存し、世界文化遺産…
滋賀県大津市の草津川にある明治時代に築かれた砂防ダム。「砂防の父」といわれるお雇い外国人・オランダ人技術者ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke)の指導の下に内務省技師・田辺義三郎が設計、明治22年に完…