千光寺公園
広島県尾道市街の背後、標高136.6mの千光寺山の山上一帯に広がる公園。山腹には古刹・千光寺が建ち、山上へは千光寺ロープウェイと車道が通じています。台地上となった山上には、ロープウェイ山頂駅、千光寺公園頂上展望台、「尾道…
広島県尾道市街の背後、標高136.6mの千光寺山の山上一帯に広がる公園。山腹には古刹・千光寺が建ち、山上へは千光寺ロープウェイと車道が通じています。台地上となった山上には、ロープウェイ山頂駅、千光寺公園頂上展望台、「尾道…
村上海賊の時代から瀬戸内の海洋文化の中心地、さらに因島村上海賊の拠点として栄えた広島県尾道市の因島(いんのしま)。その村上海賊の菩提寺で、宝徳2年(1450年)、青陰城主・村上吉資が建立した古寺が金蓮寺です。寺の裏には村…
広島県尾道市、芸予諸島のひとつ、因島(いんのしま)にある曹洞宗の寺が金蓮寺(こんれんじ)。村上海賊(因島村上海賊)の菩提寺で、正徳年間(1711年〜1715年)に廃寺となりましたが、寛政2年(1790年)に再興されていま…
広島県呉市にある因島。因島大橋のたもとにある明治27年初点灯の大浜埼灯台横にある白い3基の信号塔屋が、旧大浜埼船舶通航潮流信号所(きゅうおおはまさきつうこうちょうりゅうしんごうしょ)。明治時代に設置された木造の船舶通航信…
北海道北見市の礎を築いたハッカ(薄荷)。明治35年頃から生産が始まったハッカは昭和14年に全盛期を迎え、当時世界ハッカ市場の7割を占めるまでに成長していました。ハッカ産業の発展に大きく貢献したのが昭和9年に開業したホクレ…
愛媛県今治市宮窪町、大島の沖合に浮かぶ周囲720mの能島(のしま)にある城砦で、能島村上海賊の本拠地だった城跡が能島城。室町時代、戦国時代にわたり活躍した村上海賊は、応永26年(1419年)に能島、因島、来島の3家に分立…
関門海峡を隔てる九州側と本州・下関側に、緊迫するアジア情勢を背景に、明治20年から築かれたのが下関要塞。清国の北洋艦隊や、ロシアのバルチック艦隊の来襲を念頭に、榴弾砲などを備える砲台を築いたのですが、そのうちのひとつが火…
日本海へと流れ出る阿賀野川水系の一級河川である日橋川の水門で、猪苗代湖の湖口に位置するのが十六橋水門。明治13年、安積疏水事業の一環として猪苗代湖ダム化のために水門を兼ねた16径間の石造アーチ橋が建設されたのが始まり。大…
水利が悪く不毛の大地だった郡山の安積原野(あさかげんや)に猪苗代湖からの水を引いた明治時代の大事業で開削された用水が安積疏水(あさかそすい)。琵琶湖疏水(滋賀県、京都府)、那須疎水(栃木県)と並んで日本三大疎水にも数えら…
那須野ヶ原に農業、飲料の用水を供給するために、明治18年、栃木県令(県令=廃藩置県、藩知事廃止後、明治4年〜19年に置かれた県の長官)・三島通庸(みしまみちつね)、さらには地元の実業家・矢板武(やいたたけし)、印南丈作(…
明治32年、帝国陸軍が広島湾(呉港)への外国艦船の侵入を防ぐために、音戸の瀬戸に臨む標高216mの高烏台(たかがらすだい)に築いた28センチ榴弾砲6門を装備した砲台の跡が高烏砲台跡。現在は音戸の瀬戸公園の一部で、平清盛の…
美馬市の脇町は近世以降、阿波特産の阿波藍(あわあい)と生糸生産で栄えた吉野川中流域にある商家町で「うだつの町並み」。脇町の吉野川に並行して走る南町筋には本瓦葺き、大壁造り、白漆喰塗りの商家が軒を連ね、「うだつ(卯建)」や…
熊野、吉野大峯とともに世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産となっている高野山。その玄関駅となるのが高野山ケーブルカー(正式名は南海鋼索線)の高野山駅。高野山の山上標高867mに位置する駅で、駅舎は国の登録有形…
南海電気鉄道高野線の終点、極楽寺橋駅(標高535m)と熊野、吉野大峯とともに世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に指定された高野山の玄関口、高野山駅(867m)を結ぶケーブルカーで、正式名は南海鋼索線。高野山ケーブルカ…
大阪湾の入口を守備する目的で明治時代に築かれた由良要塞は、同時期に築かれた首都東京を守る東京湾要塞と比肩する大規模な要塞。その中心的な友ヶ島灯台には5ヶ所の砲台が築かれていましたが、島の西端に設けられた第一・第二・第五砲…
淡路島の由良地区から和歌山市加太の深山地区に至る紀淡海峡を防備するために日清戦争前の明治22年頃から築かれ始めたのが友ヶ島の砲台群。由良要塞の中央に位置する重要な砲台で、友ヶ島には5つの砲台が設置されましたが、友ヶ島第三…
紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ地ノ島、沖ノ島、神島、虎島の総称が、友ヶ島。明治〜第2次大戦までは旧日本軍の軍用地で、対岸の加太(かだ)などとともに由良要塞を形成していました。沖ノ島には今でも弾薬庫、軍馬舎、官舎などが残り…
栃木県野木町にある旧下野煉化製造会社煉瓦窯の通称が、野木町煉瓦窯。明治23年〜昭和46年に稼働し、赤煉瓦を生産して日本の近代化に貢献したホフマン式の煉瓦窯です。国の重要文化財、そして「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産な…