竹瓦小路
竹瓦温泉の向い、オープンカフェのTAKEYA脇から流川通りに延びる細い小路が竹瓦小路。車の進入は無理というこの細い小路には、別府最古はもちろんのこと、現存する日本最古という木製アーケードがかかっており、市営の竹瓦温泉とと…
竹瓦温泉の向い、オープンカフェのTAKEYA脇から流川通りに延びる細い小路が竹瓦小路。車の進入は無理というこの細い小路には、別府最古はもちろんのこと、現存する日本最古という木製アーケードがかかっており、市営の竹瓦温泉とと…
JR別府駅から駅前通りを徒歩10分の竹瓦温泉。明治12年に建造、その後改装を重ね、明治35年に共同温泉が完成。当初は竹屋根葺きで、瓦葺きに改修されたことから竹瓦温泉の名が付いたという別府を代表する共同湯。現在の建物は昭和…
九州最初の鉄道の開通は、明治22年の博多駅〜千歳川仮停車場間。私鉄の九州鉄道で、明治24年に門司駅(現在の門司港駅)まで延伸すると本社を門司駅に移しています。そんな九州の鉄道の歴史を体感できるのが門司港駅近くにある九州鉄…
門司港レトロ地区に残る明治期の希少な建物が旧門司税関。明治42年、長崎税関から分離独立し(それ以前は明治22年開設の長崎税関の出張所でした)、全国7番目の税関として門司税関発足時に建設されたもの。当時は大阪商船に似た尖塔…
大正10年、三井物産門司支店の貴賓をもてなす社交倶楽部として建てられたものが旧門司三井倶楽部。梁や柱を外側に露出したハーフティンバー様式(木骨様式)の木造2階建ての洋館は、国の重要文化財。各部屋にマントルピース(暖炉)が…
昭和63年、現役の鉄道駅として初めて国の重要文化財に指定された歴史ある駅舎が門司港駅。建設されたのは大正3年で、駅舎の場所を200mほど移して本格的なネオ・ルネサンス様式を採用した木造2階建ての現駅舎を建築しています。ド…
福岡県筑紫野市と太宰府市の境界に位置する標高829m(最高点は868.7m)の山が宝満山。英彦山、脊振山(せふりさん)と並ぶ修験道の霊峰で、古くから山全体が御神体として崇められてきました。大宰府(だざいふ)においては鬼門…
筑紫で崩御した母・斉明天皇追悼のために天智天皇が創建したという九州屈指の古刹。746(天正18)年造営で、761(天平宝字5)年には戒を授ける(正式に僧になるために必要な儀式)寺として東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒…
大宰府政庁跡の東、観世音寺との間に位置する水田地帯の小字(こあざ)の名は「学業」で、かつてこのあたりには観世音寺の子院・学業寺があったとされる地。隣接して奈良時代から平安時代にかけての教育機関「大宰府学校院」があったとも…
天智天皇(てんじてんのう)が約1300年前に九州の政治の中心として創建した役所が大宰府政庁(だざいふせいちょう)。奈良から平安時代にかけて九州を治め、わが国の西の守りとしての防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割…
筑前国分寺の北東200mに位置する、8世紀中頃につくられた古代の瓦窯跡。741(天平13)年に出された聖武天皇の「国分寺・国分尼寺建立の詔」により、後に造営された筑前国分寺の屋根瓦を焼くために造られたと推測される瓦窯の跡…
大宰府政庁跡の北西に位置する、四天王寺山の麓にある奈良時代創建の筑前国の国分寺跡。聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、全国各地に建立した国分僧寺(金光明四天王護国之寺/こんこうみょうしてんのうごこくのてら)のひとつが筑前…
福岡城の本丸には天守台(天守は江戸時代初期にありましたが、すぐに解体されています)、そして藩主が政務を司る本丸御殿がありました。天守台への入口にあったのが鉄御門(くろがねごもん)です。天守への最後の関門にふさわしく、敵の…
福岡城の三の丸にある下之橋門(大手門)の横に建つのが二層の櫓である潮見櫓。実は、潮見櫓とされているものの、潮見櫓は崇福寺に移築された可能性が高まり、城下に時を告げた太鼓櫓だった可能性が高まっています。伝潮見櫓などとされる…
福岡城の三の丸の外側にある堀には西側に下之橋、東側に上之橋、さらに追廻橋という3つの橋が架けられていました。西側の下之橋が大手(玄関口)で、東側が搦手(からめて=裏口)です。ともに堅牢な枡形門。下之橋御門(大手門)は、平…
福岡城に現存する貴重な櫓(やぐら)のひとつ。本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたため祈念櫓という名前がついています。多くの城では、丑寅櫓(うしとらやぐら)と称しているものです。棟札から幕末の1860(万延元…
福岡城には往時に47もの櫓がありましたが現存するのは二の丸南西の隅に建造当時からある南丸多聞櫓のみ。石垣の上に二重二階切妻造りの角櫓と、桁行が三十間(約54m)も続く西平櫓が連なっています。建物の軒先を支えている方杖と、…
築城当初のわずかな間だけあったとされるのが福岡城の天守台。大天守台は東西25m、南北22mという巨大なもので、東側に中天守台と小天守台が連なっています。天守台周辺から瓦が発掘されていることから天守が建っていたことは確実で…