ポコペン横丁
愛媛県大洲市、まぼろし商店街1丁目と銘打ち、「ぽこぺん、ぽこぺん、だぁれが突っついたか」という懐かしい「かくれんぼ」の世界、昭和30年代の横丁を再現したのがポコペン横丁。地元商店が運営し、様々な店が出店されているので、城…
愛媛県大洲市、まぼろし商店街1丁目と銘打ち、「ぽこぺん、ぽこぺん、だぁれが突っついたか」という懐かしい「かくれんぼ」の世界、昭和30年代の横丁を再現したのがポコペン横丁。地元商店が運営し、様々な店が出店されているので、城…
愛媛県大洲市の観光の玄関口として平成14年に造られた「まちの駅」が、大洲まちの駅あさもや。道の駅が幹線道路沿いにあるのに対して、まちの駅は町なかに位置し、レトロな大洲の町並みにとけ込むようにと配慮された和風の建物になって…
愛媛県大洲市、大洲盆地の中央にそびえる標高319.8mにある冨士山(とみすやま)は、その姿が富士山に似ていることから名付けられた山(大洲富士)。山頂近くまで車道も通じるから手軽に大洲盆地一望のパノラマを得ることができます…
愛媛県大洲市、明治34年、大洲商業銀行本店として建てられた和洋折衷の建物が、おおず赤煉瓦館。銀行建設の背景には、当時、大洲が養蚕・製糸の集積地として繁栄し、明治32年には「大洲繭売買所」が開設したことがあります。つまりは…
「伊予の小京都」と呼ばれる愛媛県大洲市(おおずし)の中心部にある風情ある通りが、おはなはん通り。おはなはん通りのある志保町や比地町は商人町として大洲でいちばん早くから開けたところで、江戸時代から大正時代にかけて建てられた…
愛媛県新居浜市の山根公園に隣接する別子銅山と住友(泉屋)の歴史を解説するミュージアムが別子銅山記念館。元禄4年(1691年)の開坑から昭和48年の閉山まで一貫して単一企業体の住友(泉屋)が経営した、世界でも例のない銅山が…
愛媛県西条市、西条市役所前にある湧水の広場が、うちぬき広場。西条市の「うちぬき水」は名水百選(昭和の名水百選)にも選ばれた石鎚山の伏流水。西条市内で地下にパイプを打ち込むと、この伏流水が吹き出すことで、「打ち抜き水」、「…
「水の都」と呼ばれる愛媛県西条市には石鎚山系の地下水がもたらす豊富な湧水がありますが、湧水のひとつである観音水の泉から西条藩陣屋跡の堀まで流れる全長2.4kmの小川をアクアトピア水系と称し、昭和61年から4年を費やしたア…
高知県土佐清水市中浜地区にあるジョン万次郎(中浜万次郎)の生家跡に生家を復元した建物が、ジョン万次郎生家(中浜万次郎生家)。平成22年10月31日に写真をもとに復元した茅葺きの木造平屋建ての建物です。内部も江戸時代後期の…
高知県土佐清水市、足摺岬の先端部に立つのが、ジョン万次郎銅像(中浜万次郎像)。漁の最中に漂流、鳥島に上陸後、アメリカの捕鯨船に救われ、帰国後は、徳川幕府が開国の交渉などに重用しています。出身地が現在の土佐清水市であること…
高知県土佐清水市、空海(弘法大師)があまりに秘境だったので見残してしまったという見残し海岸。竜串海岸からのグラスボートの接岸する見残しの桟橋から海岸沿いの遊歩道を歩き、愛情の岩を過ぎると「昔、美しい人魚が住んでいた」と伝…
高知県土佐清水市、空海(弘法大師)があまりに秘境だったので見残してしまったという見残し海岸。竜串海岸からのグラスボートの接岸する見残しの桟橋から海岸沿いの遊歩道を歩き、折り返し点の屏風岩からひとつ手前の入江まで戻ったとこ…
高知県土佐清水市、空海(弘法大師)があまりに秘境だったので見残してしまったという見残し海岸。竜串海岸からのグラスボートの接岸する見残しの桟橋から海岸沿いの遊歩道を歩き、人魚御殿を過ぎると蜂の巣城。浸食された巨岩があたかも…
高知県土佐清水市、空海(弘法大師)があまりに秘境だったので見残してしまったという見残し海岸。竜串海岸からのグラスボートの接岸する見残しの桟橋から海岸沿いに徒歩20分。見残し海岸にある厄抜けの門は巨大な海食洞で、内部に立ち…
高知県土佐清水市、空海(弘法大師)があまりに秘境だったので見残してしまったという見残し海岸。竜串海岸からのグラスボートの接岸する見残しの桟橋から海岸沿いに徒歩30分。遊歩道終点にあるのが見残し海岸・屏風岩。屏風岩を背にす…
高知県土佐清水市、空海(弘法大師)があまりに秘境だったので見残してしまったという見残し海岸ですが、今でも竜串海岸からグラスボートで見残し桟橋へと渡るのが一般的なアプローチ。たつくし海中観光と竜串観光汽船のグラスボートが就…
高知県土佐清水市、 足摺宇和海国立公園・竜串海域公園にある竜串海岸。竜串海岸を代表する奇勝のひとつが蛙の千匹連れ。第三紀層の砂岩が風や波によって侵食されたもの黒いカエルがぴょこんぴょこんと千匹あまり飛び跳ねた感…
高知県須崎市、横浪半島の浦ノ内湾側に鎮座する古社が、鳴無神社(おとなしじんじゃ)。もともとの参道は海から入るようにつくられることから、「土佐の宮島」とも。寛文3年(1663年)、土佐藩2代藩主・山内忠義(やまうちただよし…