法隆寺・南大門
世界遺産の法隆寺には南大門、西大門、そして夢殿のある東院の入口にある東大門と3つの門がありますが、正門にあたるのが南大門。創建時の建物は、1435(永享7)年に焼失し、現存する建物は1438(永享10)年の再建で、単層入…
世界遺産の法隆寺には南大門、西大門、そして夢殿のある東院の入口にある東大門と3つの門がありますが、正門にあたるのが南大門。創建時の建物は、1435(永享7)年に焼失し、現存する建物は1438(永享10)年の再建で、単層入…
法起寺(ほうきじ)は、別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれる寺で、聖徳宗の総本山。聖徳太子が法華経を講じたという岡本宮(おかもとのみや)を、その子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が638(舒明10)年…
法起寺(ほうきじ)は、606年に聖徳太子が法華教を講説した岡本宮を寺と改めたと伝わる古刹で、法隆寺、四天王寺などとともに聖徳太子建立七大寺(南都七大寺)のひとつ。江戸時代建立の四脚門である南大門が正門ですが、現在は寺の西…
1863(文久3)年に建立された堂で天平時代には金堂があった場所に建っているのが法起寺・聖天堂。1863(文久3)年、順光の発願によって建立されたもので、歓喜天像を安置しています。塔と金堂の位置関係が同時代に建てられた法…
法起寺の講堂は、寄棟錣葺き(よせむねしころぶき)の建物で、天平時代の講堂跡に建てられていることから講堂と呼ばれていますが、現在の建物は江戸時代に再建された法起寺の本堂。講堂の近くには旧講堂のものと推測される礎石も残ってい…
法起寺は、天平時代の記録に池後尼寺とあることから、もともとは尼寺として創建されたことがわかっています。伽藍配置は、塔を東に、金堂(現在の聖天堂の場所にあった)を西に配したもので、法隆寺西院伽藍とは逆の配置となっています。…
南都六宗の一つである律宗の総本山が唐招提寺。唐の高僧、鑑真和上(がんじんわじょう)が聖武天皇に招かれて苦難の末に来日し、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸を譲り受けて創建した寺。当初は唐律招提と…
唐招提寺の巨大な講堂の東にある南北に細長い建物が礼堂(らいどう)。鎌倉時代の築で国の重要文化財に指定されています。南北19間のうち、北側10間が東室、南側の8間が礼堂で、その間にある1間は馬道(めどう)と呼ばれる通路にな…
唐招提寺の金堂・講堂と礼堂に挟まれて建つのが鼓楼(ころう)。鎌倉時代の1240(仁治元)年築の入母屋造り、本瓦葺きの2階建ての楼閣で、国宝。西側の鐘楼と対をなして建つのですが、現在では鑑真和上が唐から請来した如来舎利三千…
唐招提寺の礼堂の東側に並んで建つのが宝蔵と経蔵。ともに奈良時代の校倉造りの倉庫で、並んだうちの北側が宝蔵。外観もよく似ているので、ほとんど区別がつきませんがいずれも国宝。その名の通り、宝物庫ですが、昭和45年に鉄筋コンク…
唐招提寺を開山した唐僧・鑑真和上は、大唐国揚州の高僧で、聖武天皇の招きに応じ、苦難の末754(天平勝宝6)年に渡来。その間12年を要し、両目を失明するという苦難も乗り越え東大寺に到着。この鑑真和上像に対面した芭蕉は「若葉…
唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)は、度重なる難航海と両目失明という苦難の末に渡来、754(天平勝宝6)年に東大寺に到着しました。759(天平宝字3)年、東大寺戒壇院を退き、唐招提寺を創建。国宝の鑑真和上像を安置する…
唐招提寺南大門は開祖・鑑真和上1200年遠忌を機として、昭和37年に天平様式で再建されたもの。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。南大門をくぐると正面に金堂(国宝)、その背後に講堂(国宝)があります。かつては南大…
唐招提寺舎利殿(鼓楼)の東に建つ2つの校倉は北側が宝蔵、南側が経蔵でともに天平時代に建てられたものが現存し、国宝に指定されています。とくに経蔵は、唐招提寺創建以前、新田部親王(にいたべしんのう)の邸宅だった頃の遺構(米倉…
唐の高僧・鑑真和上が聖武天皇に招かれ、難行苦行の末にようやく来日、東大寺で多くの高僧に受戒していますが、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)旧邸跡に唐招提寺を創建。講堂は平城宮朝堂院の東朝集殿(ひがしち…
律宗の総本山が唐招提寺。金堂は古代寺院における本堂を表す呼び名。唐招提寺の金堂は、奈良時代建立の建物で金堂としては現存唯一する奈良時代の建物。もちろん国宝に指定されています。平成の大修理も終わり、往時の姿を取り戻していま…
728(神亀4)年、聖武天皇が皇太子である基親王(もといしんのう)供養のため建立した金鍾山寺(きんしょうさんじ)が東大寺の始まり。741(天平13)年に聖武天皇が国分寺建立の詔を出した際に、金鍾山寺を大和国分寺として金光…
薬師寺は680(天武天皇9)年、藤原京に天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ=のちの持統天皇)の病気平癒のため発願し創建された法相宗の寺で、平城京遷都とともに奈良に移されたもの。日本に仏教が伝えられた時代のままの…