佐賀市歴史民俗館・旧古賀銀行
佐賀市歴史民俗館は7棟の歴史的建造物の総称。その中心が旧古賀銀行です。明治18年、両替商をしていた古賀善平が設立した銀行で、佐賀県下の炭坑の好況を受け第七二国立銀行を譲り受けて業務を拡大、大正時代には県下最大の銀行となり…
佐賀市歴史民俗館は7棟の歴史的建造物の総称。その中心が旧古賀銀行です。明治18年、両替商をしていた古賀善平が設立した銀行で、佐賀県下の炭坑の好況を受け第七二国立銀行を譲り受けて業務を拡大、大正時代には県下最大の銀行となり…
唐津城は、初代唐津藩主の寺沢広高(てらざわひろたか)が、1602(慶長7)年から7年の歳月をかけて築城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれ、すでに廃城となっていた名護屋城の遺材を使用したとも伝えられます。松浦川が唐津湾…
唐津炭田と鉄道の普及(明治31年唐津興業鉄道開業)は唐津に大発展をもたらしました。明治45年築の旧唐津銀行本店は、建築家・辰野金吾に師事した清水組・田中実が設計施工した洋風建築。辰野金吾は唐津出身で、明治の建築界の巨匠と…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長73mの前方後円墳が瓦塚古墳。ビジターセンターとなっている「さきたま史跡の博物館」にもっとも近い古墳が、この瓦塚古墳です。埼玉古墳群の特徴である、長方形で二重の周濠(しゅ…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長66mの前方後円墳で、同じ渡柳地区にある戸場口山古墳(とばくちやまこふん/現存せず)、中の山古墳のなかで奥まった最北にあるのが名の由来です。周囲に台形の二重周濠を有してお…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある古墳の一基で、古墳群でもっとも南に位置しているのが中の山古墳。西側に奥の山古墳(前方後円墳)が並び、東に方墳(ほうふん=四角形の古墳)であるの戸場口山古墳(とばぐちやまこ…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基で、全長109mの前方後円墳が鉄砲山古墳。埼玉古墳群のなかでは二子山古墳(135m)、稲荷山古墳(推定120m)に次いで3番目の大きさを誇る前方後円墳。墳丘周囲の調査の際…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)で最初に築造されたと推測される古墳が稲荷山古墳。5世紀後半に造られた全長120mの前方後円墳で、古墳の上に小さな稲荷社があったのがその名の由来。前方部は昭和12年の沼地の干拓工…
埼玉県行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の中央、稲荷山古墳の南に位置する前方後円墳が二子山古墳。前方部と後円部という2つの山が連結したような形状が名の由来で、墳丘長132.2mは、古代の武蔵国(むさしのくに)で…
行田市にある埼玉古墳群(さいたまこふんぐん)の一基で、前方後円墳の将軍山古墳の墳丘を利用して造られたガイダンス施設が将軍山古墳展示館。荒廃し崩落寸前だった墳丘部をドームで覆い、内部に1階に出土した埴輪(はにわ)や土層断面…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基で、6世紀後半に築かれた全長90mの前方後円墳が将軍山古墳。後円部にあった横穴式石室が明治27年に発掘され、馬具や環頭太刀(かんとうたち)などの副葬品が出土しています。下…
行田市にある古墳で、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基が丸墓山古墳。直径105m、高さ18.9m、日本最大規模の円墳で、稲荷山古墳同様に上ることができ、墳頂からは、隣に稲荷山古墳、さらにその先に将軍山古墳が眺望できま…
昭和39年に忍城(おしじょう/行田市)の外堀と忍沼一帯を利用して開園した10.3haの都市公園が水城公園(すいじょうこうえん)。中国江南水郷式造園の手法を取り入れた水郷公園です。もともと忍城一帯は、映画『のぼうの城』にも…
和田竜の歴史小説を映画化した映画『のぼうの城』(主演:野村萬斎、監督:犬童一心・樋口真嗣)で一躍有名になった石田三成と、忍城代・成田長親(なりたながちか)の忍城攻防戦。籠城を決め込む忍城に対し、三成は水攻めを試みるも・・…
愛知県犬山市青塚にある青塚古墳を中心とした一帯は、青塚古墳史跡公園として整備されています。犬山市南部に位置する青塚古墳は、墳長は123m、後円部は直径78m、高さ12mの前方後円墳で、愛知県では断夫山古墳(だんぷやまこふ…
愛知県の東半分、三河国(みかわのくに)の国府の遺構は、豊川市白鳥町上郷中・下郷中で発見されています。聖武天皇の詔で建立された、三河国の国分尼寺の遺構も発掘され、一帯は三河国分尼寺跡史跡公園と整備されています。またガイダン…
伊予松山藩2代城主・蒲生忠知(がもうただちか)の治世(1627年~1634年)に完成下と伝えられる二之丸。政庁である表御殿と、藩主やその家族の生活の場である奥御殿に分かれていましたが、表御殿跡にあるのが大井戸遺構。生活用…
伊予松山藩2代藩主・蒲生忠知(がもうただとも)が築いた邸宅跡を庭園としたのが松山城二之丸史跡庭園。絵図を基に、邸宅の間取りと庭園を再現しています。松山城は、山上にあり、太平の世には不便であることから、伊予松山藩の政庁とし…