高崎城・追手門跡
高崎城は城の西を流れる烏川の河岸段丘を利用し、本丸を囲むように現・和田橋側に西郭(西の丸)、北に榎郭、東に二之郭(二の丸)を配していました。さらに二之郭(二の丸)をカバーするように周囲を三之郭(三の丸)で囲み、その東側に…
高崎城は城の西を流れる烏川の河岸段丘を利用し、本丸を囲むように現・和田橋側に西郭(西の丸)、北に榎郭、東に二之郭(二の丸)を配していました。さらに二之郭(二の丸)をカバーするように周囲を三之郭(三の丸)で囲み、その東側に…
高崎城・乾櫓は、もともとは平屋の土蔵のような建物でしたが第3代藩主・安藤重博(あんどうしげひろ/1657年〜1695年に藩主)が櫓に改築しています。明治維新後は、下小鳥町に移築され納屋として使用されていましたが、昭和52…
往時には本丸門など16もの門があったという高崎城ですが、現存するのは東門のみ。16の城門のうち、本丸門、刎橋門、東門は平屋門で、乗篭が通過できる潜り戸があったのは三之郭(三の丸)入口にあった東門だけ。城の玄関(正門)は三…
武蔵国幡羅郡(はたらぐん)俵瀬村(現・埼玉県熊谷市俵瀬)の名主・荻野綾三郎邸から明治18年~26年頃に光恩寺に移築された長屋門。荻野綾三郎の娘・荻野吟子(おぎのぎんこ/本名=荻野ぎん)は、渡辺淳一の小説『花埋み』の主人公…
妻沼聖天(めぬましょうてん)で知られる埼玉県熊谷市の古刹で東京・浅草の待乳山聖天(本龍院)、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)と並んで「日本三大聖天」に数えられています(三重県桑名市の大福田寺、静岡県小山町の足柄山聖天堂と…
戦国時代、柴田勝家とお市の居城だったのが北の庄城。福井市街の中心に位置する北の庄城跡には、柴田勝家と、清州会議以降その妻となったお市を祀る柴田神社が鎮座しています。北の庄城の本丸の跡地に建ち、隣接の柴田公園とともに、往時…
福井駅から南西500mにある柴田公園は、戦国時代末期に柴田勝家の居城・越前北の庄城跡。浅井長政と運命をともにした朝倉氏(朝倉義景)の滅亡後、越前の一向一揆を平定した功績により柴田勝家が越前を領有。1575(天正3)年から…
1575(天正3)年に越前を平定した織田信長は、翌1576(天正4)年、のちに高山藩主として名を馳せる金森長近を4万石で越前大野に封じました。その金森長近が標高249.1mの亀山に築いたのが越前大野城(亀山城)。天守など…
1471(文明3)年から戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した城下町の跡が一乗谷朝倉氏遺跡。昭和42年から行なわれた調査で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で…
福井城の縄張りは、徳川家康自らが行なったといわれていますが、本丸の北側、旧三の丸に位置するのが福井市立郷土歴史博物館。平成16年の福井市立郷土歴史博物館の建設にあたって、一帯の発掘調査が行なわれ、その成果を元に館外展示「…
福井藩主・越前松平家の居城で、家康の次男・結城秀康時代に幕府の威信をかけ全国諸大名も参加して築城した福井城。福井市街地の中心に残る福井城跡の本丸には、現在、福井県庁、県会議事堂、県警察本部などが建ち並んでいます。明治維新…
福岡県春日市にある、弥生時代の遺跡が須玖岡本遺跡。116基の甕棺墓などが発見されていますが、王墓の上石(うわいし)と推測される大石の下の甕棺墓(かめかんぼ)からおよそ30面の中国の前漢鏡、また銅剣2本、銅矛5本、銅戈1本…
志賀島(しかのしま/福岡市東区)の南西、博多湾を望む絶好の展望地である叶崎に整備された公園が金印公園で、歴史上の大発見といわれる「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)の金印(漢委奴國王印/国宝)の発見場所。有名な金印は…
『魏志倭人伝』などに登場する奴国(なのくに)。その中心とされるのが福岡県春日市の奴国の丘歴史公園(須玖岡本遺跡)一帯。その一角に建つのが春日市奴国の丘歴史資料館で、春日市内の遺跡から出土した埋蔵文化財や、昭和初期の農具を…
福岡市の歴史と民俗を通して、文化発展の足跡を学ぶ場として開館したのが福岡市博物館。平成25年11月にリニューアルした常設展示のテーマは、「FUKUOKA アジアに生きた都市と人びと」。古代の奴国(なのくに)から江戸時代、…
別府湾に臨む国道10号沿い、北浜にそびえる別府タワー。昭和32年、名古屋テレビ塔(昭和29年)、大阪・通天閣(昭和31年)に続いて日本で3番目に建設されたテレビ塔で、高さは約100m。「塔博士」と呼ばれる内藤多仲(ないと…
出雲大社(いずもおおやしろ)の建つ出雲市大社町と松江市のJR出雲市駅を結ぶ私鉄、一畑電車の駅が一畑電車出雲大社前駅。出雲大社前、神門通りに位置し、文字通りの出雲大社前の駅となっています。駅舎は昭和5年に建てられた鉄筋コン…
聖武天皇の勅願で742(天平14)年、五穀豊穣・国家鎮護のために国ごとに造られたのが国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺、総国分寺は東大寺)。出雲国分寺跡は、金堂、講堂や回廊の跡がほぼ完全な形で出土している全国でも珍しい…