銚子・犬岩
千葉県銚子市、銚子半島の先端、名洗港の南、犬若地区の海岸にある奇岩が犬岩。隣接する千騎ヶ岩は、源義経が平泉に逃れる際に騎馬を隠した岩とされ、残された愛犬・若丸が7日7晩鳴き続け、8日目にその姿は岩となったのが犬岩だといわ…
千葉県銚子市、銚子半島の先端、名洗港の南、犬若地区の海岸にある奇岩が犬岩。隣接する千騎ヶ岩は、源義経が平泉に逃れる際に騎馬を隠した岩とされ、残された愛犬・若丸が7日7晩鳴き続け、8日目にその姿は岩となったのが犬岩だといわ…
千葉県銚子市犬吠埼、犬吠埼灯台の建つ、犬吠埼端灯台下の海岸には、白亜紀に海底で堆積した地層が顔を出しています。これが、国の天然記念物に指定される犬吠埼の白亜紀浅海堆積物。白亜紀の地層が露出するのは、茨城県ひたちなか市の平…
千葉県館山市大神宮、南房総国定公園の最南端に広がる22.4haの常緑照葉樹の森が千葉県立館山野鳥の森。林野庁の「森林浴の森日本100選」にも選定される森は、サシバなどワシ・タカ類の渡りのコースに位置し、特別鳥獣保護区に指…
鋸山を越えて南に行けば、服一枚分暖かくなるといわれ、千葉県鋸南町は、霜の降りない避寒の地。とくに房総半島南端の南房総では、富浦、和田浦、千倉など各地で花卉(かき)が路地栽培、ハウス栽培され、例年1月〜3月には花摘みも楽し…
千葉県南房総市千倉町大川にある1月〜3月頃に花摘みができるのが大川のお花畑。有名な白間津を筆頭に、平磯、千田、そして大川地区を総称して七浦と呼び、各地に花畑がありますが、花摘みの穴場的な存在がこの大川のお花畑。海岸を走る…
千葉県南房総市千倉町千田(ちくらまちせんだ)、海岸沿いを走る千葉県道251号(千倉港線)途中、道の駅ちくら潮風王国の前面に広がる花卉(かき)露地栽培の花園が千田のお花畑。現在12軒ほどの農家が花卉を栽培、1月〜3月の花摘…
千葉県南房総市の千倉町を走る国道410号(房総フラワーライン・第2フラワーライン)沿いは、冬場の霜の降りない温暖な気候を活かし花卉(かき)栽培が盛ん。平磯のお花畑は、例年1月上旬〜3月中旬に花摘み、花の直売を実施(期間は…
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口・浦賀水道に突き出た全長2kmの大房岬。江戸時代に江戸湾防備の砲台が置かれ、戦前には、東京湾要塞の要塞になったことで開発を免れ、自然が守られることに。岬一帯が大房岬自然公園として整備され…
千葉県南房総市の千倉町を走る国道410号(房総フラワーライン・第2フラワーライン)沿いには、白間津のお花畑(しらまづのおはなばたけ)と呼ばれる花園があります。10月~翌6月にかけて30軒ほどの農家で花が栽培され、最盛期の…
千葉県南房総市の和田地区は南房総における花卉(かき)栽培の発祥の地。明治26年、朝夷郡和田村に生まれた間宮七郎平(まみやしちろうべい)が花畑の裏山の貯水池周辺を開墾し、開いたのが抱湖園で、その時植えた寒桜が、旧暦の元旦に…
千葉県南房総市和田町花園にある菜の花などの花畑が和田浦の花畑。有名な寒桜の名所、抱湖園(ほうこえん)を築いた間宮七郎平(まみやしちろうべえ)の尽力もあって、和田浦は温暖な気候を生かして花卉栽培が盛ん。花の見頃は12月下旬…
長崎県壱岐市郷ノ浦町、壱岐島の最高峰(標高212.5m)、岳ノ辻(たけのつじ)山頂に設けられた展望台が岳ノ辻展望台。島の玄関口、郷ノ浦港にも近いので、手軽に壱岐島南部一望のワイドビューを得ることができます。空気が澄んだ快…
長崎県佐世保市江迎町にある落差20mの名瀑、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)。その名のとおり、龍が潜む滝との伝説がある滝で、天保年間(1831年〜1845年)に平戸藩10代藩主・松浦熈(まつらひろむ)が選んだ「平戸領地方八竒…
国営諫早湾干拓事業で、諫早湾と諫早湾干拓調整池を隔てる潮受堤防が完成し、諫早湾干拓調整池と諫早湾が分断され、諫早湾干拓調整池の北岸、長崎県諫早市に誕生したのが諫早湾小江干拓地。その西側の自然干陸地フラワーゾーンには春は菜…
長崎県五島市野々切町、福江島の南東にそびえる鬼岳の南、鬼岳火山から流出した溶岩流が変化に富んだ海岸線を形成したのが鐙瀬溶岩海岸(あぶんぜようがんかいがん)。温暖な気候のため、亜熱帯植物が繁殖し、溶岩流との景観を7kmにわ…
長崎県雲仙市、仁田峠下の雲仙ゴルフ場(日本最古のパブリックコース)近くにあるのが池の原園地(池の原ミヤマキリシマ群落)。雲仙ではほぼ全域に生育するミヤマキリシマですが、池の原では標高730m〜800mほどの場所に群落を形…
長崎県雲仙市、雲仙温泉のシンボル的存在の雲仙地獄にある潜伏キリシタンの悲しい歴史を伝える碑がキリシタン殉教記念碑。雲仙のある島原半島は、 寛永14年(1637年)〜寛永15年(1638年)の島原・天草一揆(島原…
長崎県雲仙市にある、雲仙地獄。雲仙は昭和9年の雲仙国立公園制定まで、温泉と表記して「うんぜん」と読ませていましたが、江戸時代には温泉山満明寺(うんぜんざんまんみょうじ)が管理する女人禁制の霊山で、その伝統を今に伝えるのが…