手賀沼は千葉県我孫子市、柏市、印西市、白井市にまたがる南北1km、東西16kmの細長い沼で、印旛沼(いんばぬま)とともに千葉県立印旛手賀自然公園に指定。東西に細長い手賀沼の中央付近の北岸(我孫子市)に手賀沼公園が整備され、公園にはミニSLやアスレチック、レンタサイクルなどがあります。
湖畔には「手賀沼遊歩道」も整備
手賀沼公園から手賀沼に沿って、手賀沼漁業協同組合「手賀沼フィッシングセンター」付近までの5.3kmに「手賀沼遊歩道」が整備され、途中の「我孫子市鳥の博物館」や水生植物園の見学も可能。
水生植物園にはアヤメも植栽され、例年6月上旬~中旬に見頃となり『あやめまつり』も行なわれています。
「鳥の博物館」、「道の駅しょうなん」(県道船橋我孫子線・手賀大橋近く)など湖畔の6ヶ所には我孫子市あゆみの郷公社が経営するサイクリングのステーションがあり、レンタサイクルも用意。
8月初旬には『手賀沼花火大会』、8月下旬には『手賀沼トライアスロン』が開催されています。
昭和49年~平成12年度は水質全国ワーストワンでしたが、周辺自治体の努力などが実を結び、現在では昭和40年代前半と同じくらいに環境が改善。
「我孫子市鳥の博物館」近くにある手賀沼親水広場は、手賀沼の水質浄化の拠点として整備された場所で展望室などが設備されています。
手賀沼ではコブハクチョウ150羽ほどが観察できますが、残念ながら海外から移入され、野生化した侵略的外来種です。
手賀沼南岸の将門神社(まさかどじんじゃ)に近い岩井新田には10haに渡る広大なハスの群生地があります。
昭和20年代に、水田で栽培していたハスの一部が沼の中に繁殖を始めたものでが7月下句〜8月にかけて、美しく花を咲かせています。
シベリアから飛来するオオハクチョウ、マガンなど、冬の渡り鳥の居留地(半数以上はカモの仲間)としても知られ、野鳥観察にも人気です。
環境改善に伴って渡り鳥も年々増加しているとのこと。
手賀沼漁業協同組合経営の「手賀沼フィッシングセンター」には釣堀(ニジマス・ヘラブナ・コイ・金魚)のほか、バーベキュー場、湖魚の販売コーナーがあります。
GW、夏休みなど不定期で運航の「ぐるっと手賀沼めぐり」(水上遊覧船)は、道の駅しょうなん桟橋〜手賀沼フィッシングセンター桟橋の往復です。
手賀沼は海跡湖、堰止め湖!?
もともと手賀沼は、下総台地の侵食谷で、縄文海進(縄文時代の海面上昇)で海となり、印旛沼とともに香取海(古鬼怒湾)を形成していました。
入江だったのは中世までで、奈良時代頃から海退が進み、手下浦(てかのうら)となり、その後、河川が堰き止められて湖が誕生しました。
海跡湖的な要因のある堰止め湖というわけです。
江戸時代、徳川家康の利根川東遷事業(江戸の水害を防止するために行なった土木事業)で、手賀沼は利根川の下流となり、江戸の人口増加を背景に、江戸への農産物・米供給のため商人による町人請負新田(ちょうにんうけおいしんでん)として干拓が進みました。
干拓事業によって8割の水域が消滅し、細長い湖が残されているのです。
鰻やカモなどは江戸の食通を唸らせる産物にもなっていました。
大正時代には湖畔に「民藝」の創始者・柳宗悦、志賀直哉(しがなおや)や武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)ら白樺派文化人の別荘が築かれ、「北の鎌倉」と呼ばれるようにもなりました。
『暗夜行路』なども手賀沼の畔で生み出されています(現在の「我孫子市白樺文学館」前を通る「ハケの道」が当時の湖畔でした)。
手賀沼と白樺派の関係は、「我孫子市白樺文学館」で詳しく解説されています。
手賀沼 | |
名称 | 手賀沼/てがぬま |
所在地 | 千葉県我孫子市・柏市・印西市・白井市 |
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