大分県内で日本100名城に選定されるのは、大分府内城(大分市)、岡城(竹田市)の2城、続日本100名城に選定が中津城(中津市)、角牟礼城(つのむれじょう/玖珠町)、臼杵城(うすきじょう/臼杵市)、佐伯城(さいきじょう/佐伯市)で、以上が大分県六大名城といえる城です。
大分府内城|日本100名城
所在地:大分県大分市荷揚町4
築城年:慶長2年(1597年)
築城者:石田三成の妹婿・福原直高(ふくはらなおたか/福原長堯)、竹中重利
主な城主:竹中重利、松平忠昭、松平近説
史跡:大分県の史跡
文化財:本丸跡北西隅に人質櫓(ひとじちやぐら=二重櫓)と西丸に宗門櫓(しゅうもんやぐら=平櫓)が現存
備考:府内藩2万1000石の藩庁
石田三成の失脚で、五大老筆頭の徳川家康により建設途中の府内城を没収され、関ヶ原合戦後に入封した竹中重利が最先端の築城技術を用いて完成させています
岡城|日本100名城
所在地:大分県竹田市竹田
築城年:近世城郭=文禄3年(1594年)
築城者:岡藩初代藩主・中川秀成(なかがわひでしげ)
主な城主:中川秀成、中川久盛、中川久貞
史跡:国の史跡
遺構:大手御門跡、三の丸御門跡、鐘楼跡の石垣などが現存
備考:藩政時代には岡藩(竹田藩)の藩庁として機能し、明治維新に廃藩置県まで14代277年間にわたって一度の移封もなく中川氏の治世が存続
明治34年発表の中学校唱歌『荒城の月』作曲者の瀧廉太郎は、幼少期を竹田で過ごし、『荒城の月』の着想はこの岡城跡とも(二の丸跡には瀧廉太郎像を設置)
「日本さくら名所100選」にも選定
中津城|続日本100名城
所在地:大分県中津市二ノ丁1273
築城年:天正16年(1588年)
築城者:黒田孝高(くろだよしたか=黒田如水・黒田官兵衛)
主な城主:黒田孝高、奥平昌成
史跡:大分県の史跡
遺構:石垣、堀などが現存
備考:中津藩の藩庁で、「日本三大水城」のひとつ
模擬天守は、中津城(奥平家歴史資料館)として入城可能で、かつての藩主・奥平家に伝わる甲冑や陣羽織、刀剣、古地図などを一般公開
角牟礼城(つのむれじょう)|続日本100名城
所在地:大分県玖珠郡玖珠町森
築城年:弘安年間(1278年〜1288年)
築城者:森朝通
主な城主:毛利高政(もうりたかまさ)=近世城郭に改修
史跡:国の史跡
遺構:南虎口には、高さ約7m、長さ約100mもの穴太積みの石垣が現存
備考:慶長6年(1601年)、来島長親が入封し森藩が立藩すると、山麓に森藩の陣屋と町を築いたため、角牟礼城は廃城
臼杵城(うすきじょう)|続日本100名城
所在地:大分県臼杵市臼杵91
築城年:永禄5年(1562年)
築城者:大友宗麟(おおともそうりん)=大友宗麟が戦国大名として最盛期を迎えた時代の築城
主な城主: 稲葉貞通(いなばさだみち)
史跡:大分県の史跡
文化財:二の丸跡南西隅には、畳櫓、本丸跡南東隅に卯寅口門脇櫓が現存
備考:明治維新まで稲葉氏15代の居城で、臼杵藩の藩庁
3重4階の天守を備えていたと推測され、天守台跡石垣が現存
佐伯城(さいきじょう)|続日本100名城
所在地:大分県佐伯市西谷町
築城年:慶長11年(1606年)
築城者:毛利高政(もうりたかまさ)
主な城主:毛利高政、毛利高慶(もうりたかやす)
史跡:国の史跡
文化財:佐伯城三の丸櫓門(黒門)、旧三の丸御殿の玄関・広間部分の遺構が現存、旧三の丸御殿の玄関・広間部分は住吉御殿として移築保存
備考:佐伯藩の藩庁で、江戸時代を通じて毛利氏が藩主
大分県六大名城とは!? | |
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