北軽井沢商店街の中心ロータリーの一角に建つ一見すると寺院のような建物。これがかつてここを走った軽便鉄道(けいべんてつどう)、草津軽便鉄道(大正14年以降は草軽電気鉄道)の北軽井沢駅駅舎。草津軽便鉄道は大正元年に軽井沢と草津を結ぶ鉄道会社として設立。今ではその名残も少なくなり、残された貴重な駅舎となっています。
国の登録有形文化財になった旧草軽電鉄(草津軽便鉄道)の駅舎
草津軽便鉄道は、大正4年に、新軽井沢駅~小瀬温泉駅(こせおんせん)間が開業(軽便鉄道=「軽便鉄道法」によって敷設された線路幅も狭い簡易な鉄道)。
大正15年に、草津温泉駅までの全線が開通しました。
新軽井沢駅は、現在の軽井沢駅前、草軽交通のバスターミナルの場所(旧軽井沢には廃線跡が道として残ります)。
北軽井沢駅は、大正7年6月に地蔵川駅として開業。
全線開通の翌年の昭和2年に北軽井沢駅と改称しています。
昭和37年4月25日に新軽井沢駅〜上州三原駅の廃止に伴い廃駅になっています。
国の登録有形文化財に指定の北軽井沢駅駅舎は夏期などに期間限定で無料開放。
駅舎横にはデキ12形電気機関車の実物大モニュメントが配されています。
善光寺のようなフォルムの北軽井沢駅の駅舎は、大正9年、法政大学の松室致(まつむろいたす=司法官僚出身ながらリベラル色の濃い大学運営を実施)学長が学者・文化人に別荘地を分譲して誕生した「法政大学村」の有志が、新築寄贈したもの。
北軽井沢という地名の名付け親は法政大学の職員だったのです。
駅舎の欄干にはHの字が施されているのは、駅伝や六大学野球でもお馴染みの法政大学のHというわけなのです。
法政大学村は、もともと北白川宮家の牧場を草津軽便鉄道に払い下げたもの。
273haの土地を松室致学長が取得し、法政大学の教職員と学生を中心とした理想的な教育と共同生活の場にしたのです。
この大学村は北軽井沢大学村として今に続いています。
都会でストリッパーをしている主人公のカルメン(高峰秀子)が列車から降り立つ駅がここ(デキ12形電気機関車も登場)。
当時は新軽井沢駅(現在の軽井沢駅前草軽交通本社=草軽ターミナルの場所)から1時間40分ほどの旅でした(現在は草軽バスが運行)。
北軽井沢へは小瀬温泉から国境平、浅間大滝の横を抜けて到達するという山岳路線でした。
昭和35年に草軽電気鉄道(草軽軽便鉄道)は廃止となっていますが、その後も草軽交通のバスターミナルとしても使われました。
旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎 | |
名称 | 旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎/きゅうくさかるでんてつきたかるいざわえきえきしゃ |
所在地 | 群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢 |
関連HP | 北軽井沢観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR軽井沢駅から草軽交通バス北軽井沢行きで41分、または、草軽交通バス急行草津行きで35分、北軽井沢下車 |
ドライブで | 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約31km |
駐車場 | 3台/無料 |
問い合わせ | 北軽井沢観光協会 TEL:0279-84-2047 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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