別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)

別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)

巨大古墳をはじめ古墳の密集地帯である群馬県太田市にあるのが別所茶臼山古墳(国の史跡名称は円福寺茶臼山古墳)。太田市には東日本最大(全国26位)の太田天神山古墳がありますが、別所茶臼山古墳も墳丘長164.5m(168m)で、東日本4位という巨大な前方後円墳です。

上毛野を治めた大首長の墓

別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)

新田氏4代・新田政義が鎌倉時代に創建したと伝えられる円福寺・十二所神社の境内にあり、古墳前方部には新田氏累代の墓があるため、国の史跡「新田荘遺跡」の一部になっています(「円福寺茶臼山古墳及び伝新田氏累代の墓附石幢」)。

中世の新田庄由良郷で、13世紀中頃~14世紀前半頃の新田氏本宗家の拠点となっていました。

太田市は、3世紀前半から7世紀末までの間に、消失してしまったものも含め、合計1200基ほどの古墳が確認される、古墳集中地帯。
別所茶臼山古墳(群馬県の史跡時代には円福寺茶臼山古墳が登録名称だったため、地元では円福寺茶臼山古墳と呼んでいます)は、墳丘の形、出土品から首長の勢力が増大した古墳時代中期、5世紀前半頃、ヤマト王権と密接な関係を有した「毛野国」の大首長(あるいはそれに関連のある人物)の墓と推測されます。
歴史的には、別所茶臼山古墳の被葬者の後継首長が上毛野(現・群馬県)全体を治める地位に立ち、東日本最大の太田天神山古墳が築かれた。

別所茶臼山古墳は、前方部2段、後円部3段につくられており、墳丘表面は葺石され、各平坦面には埴輪が並んでいたと推測されています。

別所茶臼山古墳の墳丘の裾に円福寺本堂が建てられ、墳丘後円部に十二所神社、くびれ部に円福寺千手観音堂、前方部に円福寺馬頭観世音堂が建てられており、かなり削られたりして本来の形状が失われています。

太田天神山古墳が、太田市役所(太田市街中心地)の東1kmほどに位置するのに対し、4kmほど西に位置するのが別所茶臼山古墳です。
というわけで車なら10分少々の移動なので、巨大な古墳のハシゴを、ぜひ。

別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)
名称 別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)/べっしょちゃうすやまこふん(えんぷくじちゃうすやまこふん)
所在地 群馬県太田市別所 円福寺境内
電車・バスで 太田駅からタクシーで10分
ドライブで 北関東自動車道太田藪塚ICから約10km
問い合わせ 大田市商業観光課 TEL:0276-47-1833/FAX:0276-47-1881
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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