兵庫県佐用郡佐用町平福にある国の史跡に指定される山城が、利神城(りかんじょう)。赤松一族の別所敦範が、南北朝時代の貞和5年・正平4年(1349年)、北方の守りとして利神山に築いた山城が起源。関ヶ原の合戦後に播磨国入りした池田由之(いけだよしゆき)が、3層の楼閣をもつ城郭へと拡張・造営しています。
「利神城ガイドツアー」に限り登城が可能
戦国時代の利神城は、天正6年(1578年)、羽柴秀吉の中国攻めの際、城主・別所林治(べっしょしげはる)は、織田信長に反旗を翻した三木城主・別所長治に従ったため、尼子勝久、山中鹿之助の手によって落城。
毛利方に属していた宇喜多直家の所有となりました。
関ヶ原の合戦後、播磨国には池田輝政が入封し、姫路城を居城に。
慶長6年(1601年)、池田輝政は甥の池田由之に平福領2万2千石を分与し、利神城を改修。
池田由之が築いた見事な楼閣をもつ外観は、まるで雲を突くような様であったことから、「雲突城」の別名もあるほどでしたが、池田輝政は徳川幕府からの謀反に対する警戒を恐れて、破却を命じています。
元和元年(1615年)、池田輝政の6男・池田輝興が2万5千石を与えられ平福藩が立藩しますが、寛永8年(1631年)、赤穂藩に移ったため、廃藩となり、利神城も廃城になっています。
現在、標高373mの山頂には、本丸、二の丸、大坂丸などの石垣が残り、往時を偲ばせていますが、登山道が荒廃、さらに石垣の状態が悪く崩落の危険性があるため、一般の入城は禁止。
佐用山城ガイド協会が実施する「利神城ガイドツアー」に限り、登城が可能となっています。
利神城 | |
名称 | 利神城/りかんじょう |
所在地 | 兵庫県佐用郡佐用町平福 |
関連HP | 佐用町公式ホームページ |
電車・バスで | 智頭急行平福駅から徒歩1時間 |
ドライブで | 中国自動車道佐用ICから約22kmで道の駅宿場町ひらふく |
駐車場 | 道の駅宿場町ひらふく駐車場を利用 |
問い合わせ | 佐用町商工観光課 TEL:0790-82-0670/FAX:0790-82-0492 |
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