805(延暦24)年、最澄(伝教大師)が唐(中国)からの帰途、兵庫の和田岬に上陸。自刻の薬師如来像を安置し、能福護国密寺を開いたのが始まりという天台宗の古刹が能福寺。寺伝によれば日本で最初の密教の教化霊場ということに。平清盛の福原遷都で平家の祈願寺に。境内にある兵庫大仏は、明治24年に豪商・南条荘兵衛の寄進。
平清盛が出家した平家の祈願寺で清盛廟もある
平清盛は、1168(仁安3)年に能福寺で出家しています。
1180(治承4)年、平清盛の福原遷都にともなって、平家の祈願寺となり堂宇が整備されています。
十三重石塔は、1286(弘安9)年、執権・北条貞時が平家の盛衰を哀れんで建立したものなのだとか。
また平相国廟は、平清盛の八百年回忌(昭和55年2月)に再建されたもの。
本堂(月輪影殿)は、京都、東山月輪御陵の拝殿を昭和29年に九条家から拝領し移築したもの。
現在の兵庫大仏は平成3年再建の2代目
明治24年5月に開眼した兵庫大仏は、豪商・南条荘兵衛が明治維新の廃仏毀釈、神仏分離で衰退した寺院と仏教に危機感を抱いて建立したもの。
仏教界の全宗派を挙げて青銅製の大仏が鋳造されています。
当時、周辺には高い建物がなく港町・神戸のランドマークとして、外洋航路の船乗りにも親しまれ、奈良、鎌倉と並び日本三大大仏に数えられていました。
昭和19年5月、残念ながら当初の大仏は第二次世界大戦の金属類回収令で供出されています(金属類回収令の徹底を図るため軍部からその標的とされました)。
首に縄をかけられ引きずり倒された後、ハンマーでかち割られるという冷徹な方法でした。
現在の大仏(毘廬舎那仏)は平成3年の再建。
2代目の大仏も、蓮台と台座を含めると高さ18m(像高11m)の巨大な坐像です。
大仏台座内には藤原時代前期作で国の重要文化財に指定される十一面観音立像(像高121.1cm、秘仏)が安置されています。
本堂前に立つ「ジョセフ・ヒコの英文碑」(「能福寺の由来碑」)は、リンカーン大統領と最初に会見した日本人である浜田彦蔵が、明治時代に兵庫大仏に訪れる外国人向けに刻んだ英文の縁起。
これが日本初の英文碑となっています。
兵庫七福神の毘沙門天も安置(弁財天=和田神社、寿老人=薬仙寺、福禄寿=真光寺、布袋和尚=柳原天神社、蛭子=柳原蛭子神社、大黒天=福海寺)。
新西国三十三ヶ所第23番札所。
紀伊半島の大王岬沖で難破。2ヶ月太平洋を漂流した後、南鳥島付近でアメリカの商船・オークランド号に発見され救助。
アメリカで暮らし、フランクリン・ピアース大統領と会見。
その後、アメリカに帰化して日米修好通商条約締結後に、神奈川領事館通訳として帰国。
明治維新後は大蔵省に務めていますが、米国籍のため青山墓地の外人墓地に葬られています。
能福寺(兵庫大仏) | |
名称 | 能福寺(兵庫大仏)/のうふくじ(ひょうごだいぶつ) Nofukuji Temple(Hyogo Daibutsu/Great Buddha) |
所在地 | 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39 |
関連HP | 能福寺公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄海岸線中央市場前駅1番出口から徒歩10分。または、JR兵庫駅から徒歩15分 |
ドライブで | 阪神高速3号神戸線柳原から400m |
駐車場 | 4台/無料 |
問い合わせ | 能福寺 TEL:078-652-1715 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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