厳島神社・本殿

厳島神社・本殿

宮島に鎮座する世界文化遺産に登録の厳島神社(いつくしまじんじゃ)。現存する本殿は、元亀2年(1571年)、毛利元就(もうりもとなり)が改築したもので、国宝。本殿に祀られるのは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神です。

平清盛が海に浮かぶ社殿を創建したのは、神の住む島への遠慮から

厳島神社・本殿

御祭神の三女神は、海の神・交通運輸神・財福の神・技芸の神として信仰されています。

平安時代に編纂される『延喜式神名帳』には「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」とあり、当初は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る神社として創建され、仏教との神仏習合における本地垂迹(日本の八百万の神々は、実は様々な仏の化身であるという考え)では弁財天に比定されるので、厳島神社の弁財天信仰も生んでいます。

海にプカプカと浮かぶ社殿を創建したのは平清盛。
厳島(宮島)は「神に斎く(いつく=仕える)島」ということから、島自体が神聖視されたため(厳島は神の住む島として禁足地でした)、島の上ではおそれ多いということで、海に浮く奇想天外な社殿を建築したのだと考えられています。

平清盛は、瀬戸内の海賊を平定し、瀬戸内の水軍、海運を支配し、日宋貿易によって莫大な財を築きました。
瀬戸内海航路の要衝であった厳島はその拠点にもなっていたのです。
平家一門の隆盛とともに厳島神社も平家の氏神となりましたが、信仰の中心はこの本殿です。

鎌倉時代にも2度の火災で焼失し、天文24年(1555年)、毛利元就が宮尾城(中世、宮島にあった城)に陣取っての厳島の戦い(陶晴賢との間で行なわれた合戦)に勝利し、厳島神社の大掛かりな改修に尽力しています。

神仏集合の江戸時代には伊勢参詣や四国遍路巡礼と並んで西国の民衆は、厳島詣(いつくしまもうで)に出かけたのです。
当時は本殿に八臂の厳島弁財天像(日本三大弁天)が祀られており、関東での江島詣(えのしまもうで)が江島弁財天を目的としたように厳島詣も厳島弁財天が参詣の目的でもあったのです。
この八臂厳島弁財天像は、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離で厳島神社から大願寺に遷され、毎年6月17日にのみ公開されています。

厳島神社・本殿
名称厳島神社・本殿/いつくしまじんじゃ・ほんでん
所在地広島県廿日市市宮島町1-1
関連HP厳島神社公式ホームページ
電車・バスでJR宮島口駅からJR連絡宮島航路または松大観光船で10分、宮島桟橋下船、徒歩15分
ドライブで山陽自動車道廿日市ICから約4.7km。または、大野ICから約5kmで宮島口
駐車場宮島口市営駐車場(166台/有料)・もみじ本舗駐車場(500台/有料)
問い合わせ厳島神社 TEL:0829-44-2020/FAX:0829-44-0517
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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