旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根(ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)

旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根(ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)

広島県呉市光町にあるタンカーなどの商船を建造する造船所、船渠(せんきょ=ドック)がジャパンマリンユナイテッド呉事業所。現存する大屋根は戦艦「大和」を造船した旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根です。ドック自体は平成4年に埋め立てられて現存していませんが。旧第三船渠、旧第四船渠は現存。

戦艦「大和」を秘匿した大屋根が現存

戦艦「大和」
呉海軍工廠造船部造船船渠で建造中の戦艦「大和」

明治22年、呉鎮守府設置と同時に「造船部」が配されたのが、呉海軍工廠造船部の始まり。
日清戦争、日露戦争へ突き進む中で、明治36年、呉海軍工廠が誕生し、東洋一といわれるまでの造船設備と技術を誇る施設となったのです。

明治44年には後に戦艦「大和」、戦艦「長門」を建造するドック、造船船渠(ぞうせんせんきょ)が建設され、史上最大にして唯一46センチ砲を搭載した超弩級戦艦として昭和15年8月8日に進水しています(極秘裏に建造されたため進水式も行なわれていません)。
竣工は、昭和16年12月16日。

巨大な大屋根のみが現存していますが、実はこの屋根は、戦艦「大和」の建造を秘密裏に行なうために築かれた屋根なのです。

当時、帝国海軍の造艦は、戦艦は呉、横須賀で、空母は横須賀、大型巡洋艦が呉、軽巡洋艦は佐世保、駆逐艦は舞鶴、佐世保、水雷艇は舞鶴、潜水艦は呉、横須賀、佐世保と分担が決まっていました。
そのなかで、戦況打開の切り札として設計された超弩級戦艦のためのドックが呉海軍工廠造船部の造船船渠で、それを秘匿するために大屋根が必要とされたのです。

戦艦「大和」を建造した造船船渠は現存していませんが、北側に隣接する旧第三船渠もジャパンマリンユナイテッド第二建造ドックとして再生、さらにその隣の旧第四船渠は、ジャパンマリンユナイテッド第四修理ドックとして使用されています(旧第一船渠、旧第二船渠は少し離れた南側です)。

ジャパンマリンユナイテッド呉事業所の大屋根と船渠は、歴史の見える丘から俯瞰的に見学ができます。

旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根は、歴史の見える丘などとともに日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成資産になっています。

旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根(ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)
名称 旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根(ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)/きゅうくれかいぐんこうしょうぞうせんぶぞうせんきょおおやね(じゃぱんまりんゆないてっどくれじぎょうしょ)
所在地 広島県呉市光町5-17
関連HP 呉市公式ホームページ
ドライブで 広島呉道路(クレアライン)呉ICから約3.7km
問い合わせ 呉市文化振興課 TEL:0823-25-3462/FAX:0823-24-9807
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
歴史の見える丘

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大和ミュージアム(呉市海事歴史博物館)

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