函館ハリストス正教会

函館ハリストス正教会

安政6年(1859年)、初代ロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチが箱館(現・函館)のロシア領事館内に建てた聖堂をルーツとする日本最古の正教会の聖堂。文久元年(1861年)、日本への正教伝道に尽力した修道司祭ニコライによって3人が洗礼を受け日本正教会の原型となっています。

日本最古、日本正教会の復活聖堂

ニコライは、元治元年(1864年)、アメリカ合衆国への渡航を画策し、箱館に潜伏した新島襄から日本語を教わり、代わりに新島に英語と世界情勢をレクチャーしています。

さらにニコライは、明治維新直前の慶応4年(1868年)4月、自らの部屋で密かに、後に初の日本人司祭となる沢辺琢磨、函館の医師・酒井篤礼(さかいとくれい)、南部藩出身・浦野大蔵らに洗礼機密を授けています。

日本の正教会の拠点はその後、ニコライにより東京の神田に移されますが、函館ハリストス正教会は、今でも日本正教会ルーツとして尊重されているのです。

ハリストスは、キリストのギリシャ語読み。
「函館ハリストス正教会」は教会名で、聖堂の正式名称は、「主の復活聖堂」となっています。

現存する「主の復活聖堂」は国の重要文化財

函館ハリストス正教会

現存する建物は、明治40年の函館大火焼失後の大正5年に再建されたもので国の重要文化財。
設計は愛知県知多郡内海村(うつみむら)出身のモイセイ河村伊蔵(豊橋ハリストス正教会の設計監督者)。

白壁に緑色の尖塔がのり、アーチ状の装飾が目を引く、実に秀麗なビザンチン様式の聖堂(聖堂の名前は「主の復活聖堂」)です。
今も函館を中心にした信者の活動拠点となっており、参拝は原則的には自由ですが、くれぐれも信者の迷惑にならないよう配慮を。
聖堂内には、ギリシア正教会の特徴のひとつである、「聖像(イコン)」が描かれています。
毎週土曜17:00から晩祷、日曜10:00から聖体礼儀(日曜礼拝)を実施。
正教会の洗礼を受けていない人は、「啓蒙所」(ロープの外側)から参祷。

函館ハリストス正教会の鐘の音は環境省の「残したい日本の音風景100選」に選定。
通常、日曜の10:00頃に聞くことができます。
また函館のランドマーク的な存在でもあり、函館市のカントリーサインもこの函館ハリストス正教会(復活聖堂)。

函館ハリストス正教会
名称函館ハリストス正教会/はこだてはりすとすせいきょうかい
Hakodate Orthodox Church
所在地北海道函館市元町3-13
関連HP函館ハリストス正教会公式ホームページ
電車・バスでJR函館駅から市電どっく前行き、谷地頭行きで5分、十字街下車、徒歩10分
ドライブで函館空港から約10km
駐車場市営函館山山麓駐車場(58台/有料)
問い合わせ函館ハリストス正教会 TEL:0138-23-7387/FAX:0138-23-7939
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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