四稜郭(松前藩戸切地陣屋跡)

松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭。五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工していますからこちらの方が先輩格の城となります。北斗市上磯町の市街地から5kmほど内陸に入った高台に位置し、函館湾を見渡す幕末の城郭です。

東側に稜堡には6門の大砲を備えていた!

復元された城門
周囲を取り囲む空堀

構造は西洋式城郭の「四稜郭」で、東側に稜堡が首を出した亀のような形をしています。
東側に飛び出した首の部分には6基の砲座が添えられ、17棟の建物が配され、松前藩士ら120~160名が駐屯していたと推測されています。
陣屋の西背後は山地で、東側が大野平野、南が海という立地なので、砲台の6門の大砲は、平野部からの攻撃に備えるかたちです。

明治元年、榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府軍が現在の森町鷲ノ木に上陸すると、新政府軍(松前藩)の戸切地陣屋守備隊は応戦のために移動。

10月24日、新政府軍(松前藩)は、大鳥圭介率いる伝習隊と意冨比神社(おおひじんや=現在の北斗市本町)で交戦するもあえなく敗退。
この四稜郭(戸切地陣屋)に逃げ帰りますが、落城の危険を察して建物17棟に火を放って松前城などへとさらに敗走しています。

「戸切地陣屋跡史跡公園」として整備され、見学が可能

現在残るのは昭和54年から平成13年にかけて国、道の補助を受けて「戸切地陣屋跡史跡公園」として環境整備を行ない、平成13年に復元城門が完成、さらに建物の位置を示す礎石類を配置しています。

城郭を囲む高さ約3mの土塁と深さ3mほどの空堀は昔ながらに残るので松前藩士120人が陣取っていた往時の様子は推測できます。
戸切地陣屋跡史跡公園は、「日本の歴史公園100選」にも選定。

道道96号から陣屋跡へ800mにわたって続く桜のトンネルは、地元では桜の名所として有名。
明治37年、日露戦争勝利を祈念して函館の呉服商・岩船峯次郎が植栽したもの。
ゴールデンウィークには『北斗陣屋桜まつり』も開催されています。

松前藩戸切地陣屋跡、法亀寺、大野川沿い桜並木、清川千本桜が「北斗桜回廊」で、例年4月下旬〜5月中旬が花の見頃(18:30~21:00にはライトアップも実施)。

礎石が残され往時の建物の位置が分かる仕組み
陣屋跡へと続く桜並木
松前藩の異国船警備
1854(安政元)年の日米和親条約(神奈川条約)締結後、幕府はロシアの南進政策もあって国防の強化として1855(安政2)年、松前藩と東北の津軽藩、南部藩、仙台藩、秋田藩の各藩に蝦夷地の分担警備を命じています。
松前藩が担当したのが七重浜から木古内までの海岸線で、備頭(そなえがしら=陣屋の最高職)竹田作郎以下1隊の兵を駐屯させ、屯田兵的に周囲の開墾も行なっていました。

陣屋が内陸部にあるのは、艦砲射撃が届かない距離に築いたため。

四稜郭(松前藩戸切地陣屋跡)
名称 四稜郭(松前藩戸切地陣屋跡)/しりょうかく(まつまえはんへきりちじんじゃあと))
所在地 北海道北斗市野崎
関連HP 北斗市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR新函館北斗駅からタクシーで17分
ドライブで 函館新外環状道路赤川ICから約2km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 北斗市観光協会 TEL:0138-77-5011
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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