さざえ堂(円通三匝堂)

飯盛山に建つ「さざえ堂」と通称される円通三匝堂(えんつうさんそうどう)。正宗寺(しょうそうじ)の僧・郁堂(いくどう)が1796(嘉慶元)年に建立した奇想天外の建物で国の重要文化財。飯盛山一帯を神域とした厳島神社(明治以前は宗像神社)の別当だった正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、円通三匝堂だけが現存しています。

わずか15分で江戸庶民の奇想天外な略式巡礼が完了!

円通三匝堂は、高さ16.5mの円柱状のお堂ですが、よく見ると六角形三層という不思議なもの。
内部には階段がなく、右回りの螺旋(らせん)状のスロープを上ると頂上に太鼓橋があり、橋を渡ると今度は左回りの下り坂で背面の出口に出る仕組み。
つまり通路しかないというもので、昇降を通じて仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づき、建物を右回りに3回匝る(上りに1回転半、下りにまた1回転半)ことから三匝堂の名があるのです。
かつてはそのスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるとされていたのです。
明治の神仏分離、廃仏毀釈で、残念ながら三十三観音像は取り外されています。

さざえ堂脇の「山主飯盛本店」がさざえ堂(円通三匝堂)の所有者。
実は、山主飯盛本家は、さざえ堂建立以前から飯盛山を拝領した名家で、今も円通三匝堂を守り続けているのです。

そんな「山主飯盛本店」では、オリジナルみやげも販売。
拝観記念として「さざえ堂学術調査実測図6枚綴り解説付」、会津さざえ堂オリジナルマグネットなどを用意。
白虎隊をモチーフにした白虎刀は、日本で最初に観光地で販売された木刀とのこと。

江戸時代、「さざえ堂」建立のブームがあった!?

1741(寛保元)年、五百羅漢寺(現・江東区大島)に築かれた三匝堂(さんそうどう)は、その珍しさから江戸の人々の人気を集めましたが地震などで荒廃。寺も目黒に移って三匝堂(さんそうどう)は現存していません。
正宗寺の郁堂も江戸での「さざえ堂」人気が念頭にあったのかもしれません。
それでもその形は、正宗寺の円通三匝堂の方がはるかに、サザエ(栄螺)を思わせるフォルムで、まさに「さざえ堂」の完成形といえるでしょう。

江戸時代に建てられた「さざえ堂」のうち、現存しているのは円通三匝堂のほかに長勝寺栄螺堂(青森県弘前市)、長禅寺三世堂(茨城県取手市)、曹源寺さざえ堂(群馬県太田市)、成身院百体観音堂(埼玉県本庄市児玉町)、西新井大師三匝堂(總持寺/東京都足立区)などの堂があります。

広重が描いた江戸、五百羅漢寺「さざえ堂」
さざえ堂(円通三匝堂)
名称さざえ堂(円通三匝堂)/さざえどう(えんつうさんそうどう)
所在地福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
関連HP会津若松観光ビューロー公式ホームページ
電車・バスでJR会津若松駅から会津乗合自動車バス飯盛山行きで10分、終点下車、すぐ
ドライブで磐越自動車道会津若松ICから約4.8km
駐車場15台/無料
問い合わせさざえ堂(円通三匝堂) TEL:0242-22-3163/FAX:0242-25-3419
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

【知られざるニッポン】vol.28 全国にあった! 二重らせん構造の「さざえ堂」

さざえ堂、実際に内部に入ると誰もが「メビウスの輪」を連想します。テープの端をひねって片方の端につなぐと、あらら不思議にも・・・というあれです。実際にドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスが「メビウスの輪」を発見するのは1858

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