桧原湖は明治21年の磐梯山の爆発で長瀬川の上流が泥流に堰き止められて誕生した湖で、標高822m、周囲32km、最大水深30.5mと磐梯高原で最大の湖。北岸の金山浜には桧原歴史巡り金山浜探勝路(金山浜0.8km、所要20分/早稲沢浜1.2㎞、所要25分/小谷山1.6㎞、40分)が整備され、金山浜は木道で湖岸を歩くことができます。
磐梯山の噴火で湖底に沈んだ桧原宿と大山祗神社
周辺は、会津と米沢を結ぶ米沢街道(会津街道)が通り、金の採取で栄えた時代もあった場所です。
しかし、米沢街道桧原宿は磐梯山の爆発により湖の底に沈んでしまいました。
浜には大山祗神社の鳥居と杉並木の跡である埋没林が残されています。
冬の最も水位が低い時期には鳥居が姿をみせることも。
また北岸に聳える標高954mの小谷山には伊達政宗の会津侵攻時の出城である小谷山城跡(檜原城跡)があり、本丸・二の丸は南北170mで、桧原湖(築城時代に湖はなく桧原宿)との比高は60m〜80mほどある天然の要害に築城されています。
伊達政宗が桧原の地頭・穴澤氏を滅亡させた小谷山城跡を探勝するのは、桧原歴史巡り金山浜探勝路の小谷山コースで、40分ほど必要です。
また、金山浜、早稲沢浜には晩秋になるとコハクチョウやマガモ、カンムリカイツブリが姿を見せます。
探勝にあたってはツキノワグマの出没地帯なので、グループで話ながら歩くなど、人間の存在を相手に知らせる工夫を。
金山浜にある「会津米澤街道 桧原歴史館」ではジオラマで湖底に沈んだ桧原宿を再現しています。
桧原宿の北側にあった金山は、猪苗代湖の北西にある金堀金山(かねほりこうざん=滝沢峠東側の金掘集落は鉱山町として発展)、石村金山(現・会津若松市門田町面川)とともに会津三大金山に数えられ、砂金を採取していました。
桧原宿から会津・出羽国境(福島・山形県境)の金山峠を抜けるのが旧米沢街道(米沢では旧会津街道)で、往時は会津若松城下と米沢城下を結ぶ交易路、軍事的に重要な道でした。
往時の街道は、現在の金山浜から湖中、南西へと伸び、桧原集落に到達していました。
金山集落には金山最盛期には人夫関係小屋500軒が並んでいましたが、桧原金山精練所跡、露天掘り跡が史跡として残されていますが、明治時代まで精錬は行なわれていました。
桧原湖・金山浜 | |
名称 | 桧原湖・金山浜/ひばらこ・かなやまはま |
所在地 | 福島県耶麻郡北塩原村檜原館山 |
関連HP | 裏磐梯観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 磐越自動車道猪苗代磐梯高原ICから約28.9km |
駐車場 | 会津米沢街道「桧原歴史館」など周辺の駐車場を利用 |
問い合わせ | 裏磐梯観光協会 TEL:0241-32-2349 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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