直江兼続屋敷跡(山鹿素行誕生地)

直江兼続屋敷跡(山鹿素行誕生地)

福島県会津若松市、会津若松城下の一等地、本一之丁と大町通りの交差点にあるのが直江兼続屋敷跡(山鹿素行誕生地)。NHK大河ドラマ『天地人』の主人公、直江兼続は、慶長3年(1598年)に越後から会津120万石の領主として転封した上杉景勝に伴い会津入りし、この地に屋敷を構えたのです。

『天地人』直江兼続の屋敷があった地

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置(諸大名の奥州配置)で、蒲生氏郷(がもううじさと)が会津領主となって以降、一帯は重臣たちの大規模な屋敷地となっていました。
慶長3年(1598年)、秀吉の命で蒲生氏郷が会津92万石から宇都宮18万石で移封されると、続いて会津に入った上杉景勝も会津若松を拠点としています。
直江兼続は米沢領を支配し、神指城の築城を差配、関ヶ原合戦後の上杉家米沢移封まで、ここに直江兼続屋敷があったのです。

関ヶ原合戦後、蒲生秀行(がもうひでゆき=正室の振姫は、徳川家康の三女)は陸奥に60万石を与えられて会津に復帰。
その子、2代藩主・蒲生忠郷(がもうたださと)の時代にはこの地は蒲生三奉行のひとりで岩代猪苗代城の城代という重責を担った、町野左近(祖は近江六角氏の家臣団出身)の屋敷があり、屋敷内で元和8年(1622年)、赤穂四十七士の生みの親、山鹿素行(やまがそこう)が生まれています。

父は伊勢亀山城主・関一政(蒲生氏郷の配下)の家臣・山鹿貞以(やまがさだもち)で、同僚を切った罪で浪人となり、町野左近邸に身を寄せていました。
現在、一帯が山鹿町という町名なのはもちろん、山鹿素行誕生地だから。

直江兼続屋敷跡(山鹿素行誕生地)
名称 直江兼続屋敷跡(山鹿素行誕生地)/なおえかねつぐやしきあと(やまがそこうたんじょうち)
所在地 福島県会津若松市山鹿町1-25
関連HP 会津若松観光ビューロー公式ホームページ
電車・バスで JR会津若松駅から徒歩30分。または、路線バスで鶴ヶ城西口下車、徒歩3分
ドライブで 磐越自動車道会津若松ICから約6km
駐車場 西出丸駐車場(200台/有料)
問い合わせ 会津若松観光ビューロー TEL:0242-23-8000
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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