福島県会津若松市、会津藩の藩庁で、幕末の戊辰戦争の舞台となった鶴ヶ城。鶴ヶ城本丸跡、茶室麟閣の南に立つのが『荒城の月』歌碑。瀧廉太郎の作曲で有名な『荒城の月』は、仙台出身の詩人、土井晩翠の作詞で、仙台城(青葉城)、会津若松の鶴ヶ城をイメージして作詞したともいわれています。
土井晩翠自身が荒城の月は、鶴ヶ城がモデルと告白
土井晩翠は、明治33年、故郷仙台に戻り、母校・第二高等学校の教授に就任。
明治34年、『荒城の月』を収録した東京音楽学校編『中学唱歌集』が刊行され、唱歌用の作詩を委嘱された土井晩翠は、仙台城、鶴ヶ城を念頭に詩を創作されたというのが定説。
土井晩翠自身も、「この題を与えられて、まず第一に思い出したのは会津若松の鶴ヶ城であった」(『荒城の月 土井晩翠と滝廉太郎』に記載)と回想しています。
昭和21年、会津高等女学校(現・葵高等学校)で講演の際に、旧制第二高等中学校の修学旅行で訪れた鶴ヶ城のイメージで作詞したことを明らかにし、急遽、歌碑の建立となって、昭和22年6月5日に土井晩翠夫妻を招いて除幕式が行なわれたという、まさに正当性のある歌碑が、鶴ヶ城の『荒城の月』歌碑ということに。
戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟の盟主に担がれたのが仙台藩で、土井晩翠は祖父や父母から、鶴ヶ城落城の経過を聞かされながら育ったのです。
故郷の仙台城、修学旅行で訪れた鶴ヶ城などの古城のイメージを重ねているのでしょうが、やはり重要なウエイトを占めたのは、祖父た父母からも聞かされた鶴ヶ城だということに。
荒城の月 歌詞
春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
めぐる盃(さかずき)かげさして
千代の松が枝えわけいでし
むかしの光いまいずこ
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うるつるぎに照りそいし
むかしの光いまいずこ
いま荒城のよわの月
替わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかづら
松に歌うはただあらし
天上影は替わらねど
栄枯(えいこ)は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼荒城のよわの月
鶴ヶ城・『荒城の月』歌碑 | |
名称 | 鶴ヶ城・『荒城の月』歌碑/つるがじょう・『こうじょうのつき』かひ |
所在地 | 福島県会津若松市追手町1-1 |
関連HP | 会津若松観光ビューロー公式ホームページ |
電車・バスで | JR会津若松駅から会津乗合自動車バス鶴ヶ城経由飯盛山行きで15分、鶴ヶ城北口下車、徒歩5分 |
ドライブで | 磐越自動車道会津若松ICから約6km |
駐車場 | 西出丸駐車場(200台/有料)、東口駐車場(129台/有料)、南口駐車場(35台/有料) |
問い合わせ | 鶴ヶ城管理事務所 TEL:0242-27-4005/FAX:0242-27-4012 |
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