福井県の敦賀市と南越前町の間、北陸本線の最難関部分だった木ノ芽峠の直下に位置する鉄道トンネルが北陸トンネル。昭和37年6月10日開通し、北陸本線のスピードアップが図られましたが、それ以前は、単線で、山中峠をスイッチバックとトンネル群で克服していました。
狭軌の陸上鉄道トンネルとしては日本最長
北陸トンネルは、全長1万3870mという長大なトンネル。
1982年(昭和57年)6月26日にフルカベーストンネル(スイス)が開通するまでは、狭軌で世界最長のトンネルでした。
昭和47年、山陽新幹線の六甲トンネル(1万6250m)が完成するまで、日本最長の鉄道トンネルで、今も狭軌の陸上鉄道トンネルとしては最長です(海底トンネルを含めれば青函トンネルの53.85kmが狭軌で最長)。
北陸トンネルの完成以前は、敦賀〜今庄間は、明治29年開通の山中峠越えの山岳ルートで、4ヶ所のスイッチバックで25‰(パーミル)の急勾配を克服し、3ヶ所の駅、3ヶ所の信号場、11ヶ所のトンネル、1ヶ所のロックシェッドで越前と若狭を隔てる難所を克服していました。
SLのD51の重連、さらには昭和30年から電気式ディーゼル機関車も投入されましたが、山岳ルートでは増大する貨物輸送をさばききれないという問題が生じていたのです。
開通時は、高度成長のシンボル的に取り上げられましたが、昭和47年11月6日、北陸トンネル走行中の急行「きたぐに」の食堂車の電気暖房装置のショートが原因で、30名の犠牲者を出す「北陸トンネル火災事故」が発生。
当時の国鉄は、「電化トンネルで火災事故はあり得ない」ということを理由に、火災発生時の対策がなかったことに加え、トンネル内でも異常時はただちに停車することと定められていたのです(3年前の昭和44年12月6日、青森発大阪行き寝台特急「日本海」が北陸トンネルを通過中に火災事故を起こしていますが、機関士は運転規則に逆らってトンネルから脱出しましたが、国鉄は運転規則違反として乗務員を処分し、トンネル事故での対処法の見直しも行ないませんでした)。
この事故を契機に車両の難燃化、不燃化が行なわれ、尊い犠牲となっています。
北陸トンネル敦賀側坑口には、北陸トンネル火災事故(「急行きたぐに号火災事故」)の慰霊碑が立っています(現在の石碑は、平成19年に再建されたもの)。
北陸トンネル | |
名称 | 北陸トンネル/ほくりくとんねる |
所在地 | 福井県敦賀市〜南条郡南越前町 |
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