紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)

紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』(主演・吉高由里子)の主人公・紫式部は、藤原宣孝(ふじわらののぶたか)との結婚が決まるまでの1年余りを、越前国の国府のあった福井県越前市で過ごしています。越前国国府と紫式部の歴史を紹介するミュージアムが、紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)です。

都を離れて紫式部が暮らした越前国府での生活を紹介

長徳2年(996年)頃、越前守(えちぜんのかみ=越前国の国司)となった父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同し、京の都から越前に下向、国府のある越前武生(えちぜんたけふ)で暮らしています。
NHK大河ドラマ『光る君へ』の放送に先立ち、令和2年4月23日に無料休憩所として利用されていた「藤波亭」を、国府が置かれた越前市の歴史と紫式部との関わりを発信し、観光振興を図る施設としてミュージアムへと改修して開館したのが紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)です。

『源氏物語』の作者、紫式部が生涯でただ一度だけ、京の都を離れて暮らした場所が越前国府のあった武生で、館内「紫式部の間」では、『源氏物語』を描くまでの紫式部の心模様を、平安時代に公家の邸宅に使われた間仕切りである几帳(きちょう)風グラフィックでたどることができます。

物語映像『百花繚乱 紫式部が出会った越前国府』は、6分間の映像で、紫式部が越前国府で過ごした日々と、 京都に遺してきた婚約者・藤原宣孝との距離恋愛の中で紡がれた恋の和歌を紹介、紫式部の人物像に迫ります。

『下向行列和紙人形』は、京の都から越前国へと移動する、 紫式部と父・藤原為時の下向の様子を46体の紙人形で再現したもの。

国府は現在の越前市にあったと推測されていますが、国司の館がどこにあったのかなどは、定かでありません。
国司が参拝した総社は、総社大神宮ですが、前田利家による府中城拡張の際に現社地に遷されていることから、紫式部が参拝したであろう頃とは所在地も異なっています。

紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)近くには紫式部公園があり、12単衣をまとった金色の紫式部像があるほか、平安朝式庭園が精密な時代考証のもとに再現されています。

画像協力/公益社団法人福井県観光連盟

紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)
名称 紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)/むらさきゆかりのやかた(むらさきしきぶとこくふしりょうかん)
所在地 福井県越前市東千福町21-12
関連HP 紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)公式ホームページ
ドライブで 北陸自動車道武生ICから約7km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館) TEL:0778-43-5013
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
紫式部公園

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