西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

徴兵制、廃刀令は、旧士族にとっては許せないことで、明治9年10月24日の熊本県士族の神風連の乱を皮切りに、27日の福岡県士族の秋月の乱、28日の萩の乱と不平士族の乱が連続。それが西南戦争へと発展。総大将となった西郷隆盛は、鹿児島の城山へと追い詰められ、西郷洞窟近くで自刃。西郷隆盛終焉の地には石碑が立っています。

西郷隆盛が自刃した地には「南洲翁終焉之地」碑が

明治10年1月20日、西郷暗殺計画などが露呈し、ついに日本国内で最後の内戦である西南戦争(鹿児島では丁丑戦)が勃発。
熊本をはじめ九州各地で激戦を展開しますが、9月1日、西郷隆盛は官軍の守備隊を撃破して鹿児島に潜入、城山を中心に布陣します。
小競り合いが続く中、官軍は9月6日、350余名の薩軍が陣取る城山包囲態勢を完成させ(西郷隆盛は洞窟に籠もる)、9月24日午前4時に総攻撃を開始。
西郷は、負傷して駕籠に乗っていた別府晋介を顧みて「晋どん、晋どん、もう、ここでよかろう」といい、別府の介錯で自刃しています(別府晋介もその場で切腹)。

西郷洞窟近くの西郷隆盛が自刃した地には「南洲翁終焉之地」碑が立っています。

西南戦争の終結により、不平士族の反乱は収まり、明治政府はさらに富国強兵、殖産興業を進めたのです。

明治維新の立役者、薩摩藩に残された中世的な制度

薩摩藩は守護大名が戦国大名に移行し、関ヶ原合戦後もそのまま大名として存続した稀有な例です。
しかも近世への移行の条件ともいえる厳然たる兵農分離は、幕末に至っても実施されず(尾張の織田信長、豊臣秀吉が天下を取ったのは豊かな濃尾平野を背景にいち早く兵農分離が実施されたからとも説明できます)、郷士が土着して、厳しい農民統制を行なっていました。
北海道の屯田兵制度を最初に思いついたのが西郷隆盛で、実際にそれを実施したのが薩摩藩出身の黒田清隆というのも、こうした薩摩藩の外城士制度が念頭にあったものと推測できます。
明治維新後の郷士は、農地を買い集め地主として成功した例もあり、西南戦争に対しても冷ややかだったと伝えられています。
逆に、土地を保有しない城下士出身者は、警察や官僚になるなどの就職がなければ、不平が募っていったのです。

西郷隆盛終焉の地
名称西郷隆盛終焉の地/さいごうたかもりしゅうえんのち
所在地鹿児島県鹿児島市城山町
関連HP 鹿児島観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスでJR鹿児島駅から徒歩10分
ドライブで鹿児島東西幹線道路田上ICから約6km
駐車場なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ鹿児島市観光振興課 TEL:099-216-1327
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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