日本で最初の洋式庭園として、横浜居留地に住む外国人が開設したのが神奈川県横浜市、山手地区にある山手公園。その一画、横浜山手テニス発祥記念館前のテニスコートの片隅に立つのが日本庭球発祥の地碑(碑文は「日本庭球発祥之地碑」)。実は、ここが明治9年に、日本で最初にテニスが行なわれた場所です。
日本のテニスここに始まる
文久3年(1863年)、横浜居留地の社交場、横浜クラブ(後の横浜ユナイテッド・クラブ)を海岸通5番に作り(ホテルとしての機能を有しています)、マネージャーとして働いたのがW.H. スミス(William Henry Smith)。
もともとは文久2年(1862年)に来日、イギリス山(現・港の見える丘公園)に駐屯したイギリス軍の士官(近衛海兵隊中尉)でしたが、翌年に除隊して横浜の居留民となり、明治6年にはホテルニューグランドの総支配人となります。
そのW.H. スミスの尽力で、公園とする土地を日本政府から年403ドルで賃借する契約を結び、明治3年5月6日(1870年6月4日)に現在の山手公園が開設されます。
山手一帯は急な傾斜地があったので当時、居留民から「ブラフ」(bluff=崖のこと)と呼ばれていたため、新公園は当初「ブラフパブリックガーデン」と称しました。
この「ブラフパブリックガーデン」で明治9年、日本で初めてのローンテニス(Lawn Tennis)が行なわれました。
公園開設とともに公園管理団体が組織されますが、意図してなのか日本政府への賃借料が滞ることに。
イギリス公使館のアーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow)が明治4年に着任した神奈川県令・睦奥宗光(むつむねみつ)と交渉をしますが、そのさなかに公園内の一部をテニスコートにしてクラブに貸し出すという案が浮上。
当時、イギリスで流行していたテニスが横浜居留地にも上陸。
「レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ」(Ladies Lawn Tennis and Croquet Club/横浜婦女弄鞠社=よこはまふじょろうきゅうしゃ)が結成され、年150ドルで用地を借用することで交渉がまとまったのです。
こうして日本初のクレーコート5面とクラブハウスが誕生します。
ローンテニスは、1873年(明治6年)12月、ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐が考案した「スフェリスティキ」(sphairistike)がルーツ。
イギリスやアメリカで有閑階級を中心に急速に広まり、居留地である横浜にも流行がすぐに伝わったと推測できます。
横浜に「レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ」が結成された明治11年は、第1回ウインブルドン大会(The Lawn Tennis Championships on Grass)が開催された翌年のことです。
「レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ」は、現在の横浜インターナショナルテニスコミュニティ(Yokohama International tennis community)の前身で、開設されたテニスコートもほとんど往時の土地形状のままに残されています。
周囲に植栽されたヒマラヤスギも、日本のヒマラヤスギのルーツです。
名称 | 日本庭球発祥の地碑(テニス発祥の地)/にほんていきゅうはっしょうのちひ(てにすはっしょうのち) |
所在地 | 神奈川県横浜市中区山手町230 |
関連HP | 山手公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR石川町駅から徒歩12分。みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩15分 |
ドライブで | 首都高速道路狩場線新山下ICから約3㎞ |
駐車場 | 山手公園駐車場(20台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 山手公園 TEL 045-641-1971 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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