神奈川県三浦市、三浦半島南端の城ヶ島に設置された砲台の跡が城ヶ島砲台跡。文化5年(1808年)、浦賀奉行・岩本正倫が異国船監視の砲台を築いたのが始まりで、大正15年、三浦半島の要塞化に伴い東京湾要塞の一部として本格的な砲台が築かれています。
城ヶ島公園第一展望台は、砲側観測所跡
関東大震災後の東京湾要塞復旧で、城ヶ島の東半分を砲台用地に、ワシントン海軍軍縮条約により廃艦となった準弩級戦艦「安芸」(あき/明治44年、呉海軍工廠で建造)の第一号、二号砲塔2基を改造して設置したもの。
砲塔は25.4cm45口径連装砲2基4門を特殊起重機船(クレーン船)「蜻州丸」(せいしゅうまる)で移送設置し、周辺には偽民家が建てられるなどの擬装がされていました。
「安芸」の船体自身は大正13年9月6日、戦艦「長門」、戦艦「陸奥」による実艦標的として実弾射撃され、野島崎沖(大島南方海面)で沈没。
対岸の、房総半島の洲崎第一砲台(巡洋戦艦「生駒」の前部主砲塔を転用した砲塔砲台)とともに、東京湾の湾口を睨む砲台として機能しました。
戦後、昭和33年に城ヶ島公園として公園化され、さらに昭和35年の城ヶ島大橋の架橋により、砲座跡が駐車場花壇になるなど転用され、砲台などの遺構は、表面上はほとんど残されていません。
城ヶ島公園第1駐車場の東側斜面の地下などには3つの火薬庫と50mの通路が当時の面影を残したまま現存し(地下施設の入口は迷彩柄の塗装が施され茂みに隠れています)、砲側観測所入口、砲側弾薬庫入口などが残されています。
城ヶ島公園第一展望台は、砲側観測所の遺構の上に位置しています。
城ヶ島砲台跡 | |
名称 | 城ヶ島砲台跡/じょうがしまほうだいあと |
所在地 | 神奈川県三浦市三崎町城ケ島 |
電車・バスで | 京浜急行線三崎口駅から京浜急行バス城ヶ島行きで27分、終点下車、徒歩15分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路衣笠ICから約16km |
駐車場 | 城ヶ島第3駐車場(92台)・城ヶ島第2駐車場(15台)・城ヶ島第1駐車場(22台)/有料 |
問い合わせ | 三浦市観光協会 TEL:046-888-0588/FAX:046-888-5914 |
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