平家の落人伝説が残る熊本県八代市の五家荘(ごかのしょう)。せんだん轟の滝に近い熊本県道52号(小川泉線)沿いにあるのが、左座家(ぞうざけ)。平家落人ではなく、平安時代に、菅原道真の嫡男が、藤原一族の追討を避けるため左座太郎(そうざたろう)と改名し、隠れ住んだ屋敷と伝わっています。
五家荘に残る菅原道真子孫の伝承
昌泰4年(901年)、藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん)で、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された菅原道真。
2年後の延喜3年(903年)、大宰府で薨去しています。
史実では、菅原道真の嫡子・菅原高視(すがわらのたかみ)も連座して土佐介に左遷されていますが、赦免され、5年後に帰京して大学頭に復帰、延喜13年(913年)に没しています。
延喜9年(909年)、藤原時平は39歳という若さで病死し、後に道真の怨霊によるものだという話が流布するように。
地元の残る伝承によれば、菅原高視は、左座太郎と名を改めた延喜23年(923年)、八代郡五家荘へと落ち延び、弟の菅原菅次郎とともに仁田尾(にたお)、樅木(もみぎ)を治めたということに。
別の説では、菅原道真のひ孫・菅宰相と菅千代丸の兄弟としていますが、いずれにせよ、嫡子・菅原高視が復権し、藤原時平も没しているので、藤原氏の追討が五個荘まで及んだとは考えづらいものがあります(その裏付けとして、菅原道真のひ孫のひとり、菅原資忠は、文章博士・大学頭・弁官を歴任しています)。
仁田尾、樅木の鎮守、仁田尾神社、樅木神社の祭神は菅原道真なので、太宰府天満宮と深い結び付きがあったことはよくわかります。
現存する建物は築200年ほどで、天満宮の神紋である梅鉢紋の透かし彫りがあります。
左座家 | |
名称 | 左座家/ぞうざけ |
所在地 | 熊本県八代市泉町仁田尾65 |
関連HP | 八代市公式ホームページ |
ドライブで | 九州自動車道松橋ICから約46km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 左座家 TEL:0965-67-5510 |
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