東山三十六峰・今熊野山の山麓に建つ空海(弘法大師)創建と伝わる古刹(泉涌寺の塔頭)が今熊野観音寺。西国三十三所霊場の第15番札所、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第1番札所にもなっています。身丈一尺八寸の本尊・十一面観世音菩薩像(秘仏)は空海自刻、脇侍の不動明王は円珍(智証大師)作、毘沙門天は運慶作と伝わっています。
空海が創建、後白河上皇が熊野権現を勧請と伝える古刹
寺伝によれば、大同2年(807年)空海が創建し、弘仁3年(812年)、嵯峨天皇の勅命で諸堂を整備したとされています。
境内に湧く「五智水」(「五智の井」)は空海が錫杖をもって湧き出させた霊泉と伝わっています。
永暦元年(1160年)、後白河上皇は観音寺に熊野権現を勧請し、本尊・十一面観世音菩薩像を本地仏とし、「新那智山」の山号を与え、さらに今熊野の地を紀州熊野の観音霊場になぞらえて、新熊野神社の社殿を山麓に造営しています。
後白河上皇の持病の頭痛は、今熊野の観音信仰で平癒したと伝えられています。
また、貴人らを火葬した鳥戸野の葬地は今熊野観音寺の管理下だったため、藤原道長の法要などもここで行なわれています。
文暦元年(1234年)に没した後堀河上皇も観音寺陵を築いて葬られています。
南北朝時代の兵火、応仁の乱の際荒れ果ててしまいましたが、戦国時代には再興。
江戸時代に西国三十三所参りが盛んになるのを受けて、正徳2年(1712年)、往時には奥の院順礼堂の建っていた場所(空海ゆかりの聖地)に現在の本堂が再建されています。
厄除け開運の寺としても知られており、とくに頭痛、病気封じ、智恵授かりの御利益が大。
ぼけ封じ霊場でもあり、祈祷後には身代わりの石仏を「ぼけ封じ観音」の台座近くに奉納するのが習わし。
泉山七福神の恵比須神も祀られています。
授与品として智慧授け、学業成就、諸芸上達、頭痛封じ、ぼけ封じ、開運厄除、健康長寿の「枕宝布」(枕カバー)、病気の「風邪」と、台風などの「風害」を除ける風除大師の御札、霊符「千枚通」などがあります。
西国三十三所霊場間の距離・時間
14番・長等山三井寺/園城寺(滋賀県大津市園城寺町246) — (14km/40分) — 15番・新那智山今熊野観音寺/園城寺(京都市東山区泉涌寺山内町32) — (3km/25分) — 16番・音羽山清水寺(京都府京都市東山区清水1-294)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です
今熊野観音寺 | |
名称 | 今熊野観音寺/いまくまのかんのんじ |
所在地 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32 |
関連HP | 今熊野観音寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR東福寺駅・京阪本線東福寺駅から徒歩8分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約6.5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 今熊野観音寺 TEL:075-561-5511/FAX:075-551-2779 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag