元和元年(1615年)に「寛永の三筆」の一人で陶芸家でもある本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえる集落「光悦村」を生み出しました。光悦の死後、屋敷跡は日慈上人を開祖として日蓮宗の寺になっています。
裕福な財力を元に、鷹ヶ峰でマルチアーティストとしての才能を発揮
本阿弥光悦は「寛永の三筆」(寛永の三筆=本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)として知られる書家でもあり、芸術家として名高いのですが、本阿弥家の家業は代々刀剣鑑定の名家。
京都市上京区油小路通五辻下る東側の路地には、「本阿弥光悦京屋敷跡」の石柱が立っていますが、鷹ヶ峰の地に移るまでは、ここに屋敷を構えていました。
家康から拝領の鷹ヶ峰の地は、『本阿弥行状記』によれば辻斬りや追い剥ぎの出没する物騒な土地だったとか。
それが本阿弥一族を集めた芸術村「光悦村」に変身したというのです。
本阿弥家は元来法華経の信者だったことから80歳で光悦が没した後、本阿弥光悦の屋敷内にあった一族の位牌所を日蓮宗の寺としたもので、まさに菩提寺。
生前にも土地を寄進し、僧の学問所としての禅林が創設され、最盛期には30もの堂宇が建ち並んでいたと伝えられています。
本阿弥光悦は一帯を宗教的な場所にという意図もあったのでしょう。
境内には太虚庵、三巴亭、了寂軒、本阿弥庵など7つの茶室がありますが、いずれも大正以降、近代の建築。
光悦の終焉の地でもある太虚庵を囲む竹を斜めに組んだ垣根は、「光悦寺垣」と呼ばれるもので絵画、陶芸、書道、作庭などに豊かな芸術性を発揮した文化人・光悦の足跡のひとつ。
庭園からは鷹峯三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡すことができ、秋には紅葉が見事。
光悦寺の紅葉は、色づきが少し早いのも特長です。
例年の見頃が11月中旬〜下旬で、とくに参道がフォトジェニックです。
光悦寺 3つのチェックポイント
鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地
本阿弥光悦の工芸集落が前身の寺
モミジに覆われた参道、庭園は新緑と紅葉の名所
光悦寺 | |
名称 | 光悦寺/こうえつじ Koetsuji Temple |
所在地 | 京都府京都市北区鷹峯光悦町29 |
電車・バスで | 地下鉄烏丸線北大路駅から市バスで13分、鷹峯源光庵前下車、徒歩3分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約13km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 光悦寺 TEL:075-491-1399 |
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