15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山中の標高2430mに位置するマチュピチュ(Machu Picchu)。そのマチュピチュに似ていることから、「日本のマチュピチュ」などと称される場所が全国各地に存在します。そのなかから、撮影スポットにも最適な5ヶ所を厳選して紹介!
まずは本物のマチュピチュをチェック!
マチュピチュの歴史保護区(Historic Sanctuary of Machu Picchu)として世界遺産に登録されるマチュピチュ。
高地の断崖絶壁に建設された要塞都市で、「空中都市」、「インカの失われた都市」などと称されています。
アンデネスという石壁で区切られた段々畑40段(1段は3m)で、トウモロコシ、ジャガイモ、コカなどが耕作されていました。
さらに200戸の石造建造物が現存。
インカの王族や貴族のための冬季(南半球の夏)の避暑地としての離宮としてインカの王パチャクティ(Pachacuti)時代の1440年頃に建設が始まり、1532年にスペイン人に征服されるまでの80年ほど使われた都市(宮殿、神殿)と段々畑からなる遺跡です。
熱帯・亜熱帯地域の山地のため霧が多いのも特徴(下界から見ると雲に包まれている状態)。
「日本のマチュピチュ」を考えるときのキーワードは、山奥、段々畑、石造建造物、霧、そして断崖絶壁でしょうか。
日本のマチュピチュ1:岩村城
所在地:岐阜県恵那市岩村町城山
立地:標高721mの城山の山頂
マチュピチュ度:「日本三大山城」のひとつ。地形的な要因で霧が立ちこめやすいことから「霧ケ城」とも呼ばれている城で、「日本100名城」にも選定。
本丸虎口の石垣は6段となって進軍を阻む「六段壁」で、下から眺めるとまさに壁のように立ちはだかります。
共通点は石造建造物だけですが、戦国時代末期の16世紀に築かれた(マチュピチュと同時代)中世の山城、しかも霧が多いという点では、マチュピチュ度がアップします
日本のマチュピチュ2:上ヶ流茶園 天空の遊歩道
所在地:岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合
立地:標高200m〜380mに築かれる棚田(茶畑)
マチュピチュ度:朝霧が立ち込めやすいという気候を活かし、「天空の棚田」と称される段々畑で茶を栽培。
茶畑を東側の尾根から眺めるのが天空の遊歩道が整備。
共通点は段々畑、霧が多いということですが、中京圏にありながら、まだまだ知られない秘境という点では、マチュピチュ度もアップ
日本のマチュピチュ3:竹田城
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169
立地:天守台は標高353.7mの山上
マチュピチュ度:嘉吉年間(1441年〜14434年)、但馬の守護大名・山名宗全が築城。
山上にあるため壮大な石垣が現存。
秋には、快晴の朝など放射冷却により早朝に朝霧が発生し、山城を包み込むように雲海が広がるので「天空の城」と呼ばれています。
戦国時代に近江(現・滋賀県)の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)が野面積みで積んだ見事な石垣、霧が多い点、急峻な断崖などから、「日本のマチュピチュ」人気は目下、一番です。
日本のマチュピチュ4:マイントピア別子東平ゾーン
所在地:愛媛県新居浜市立川町654
立地:標高750mの鉱山都市の跡
マチュピチュ度:大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられた鉱山都市の遺跡。
選鉱場跡と貯鉱庫跡は、見上げるばかりの石積みが、山肌に沿って三段に築かれ、まさに城壁のよう。
物資を運び上げたインクライン(傾斜鉄道)跡の220段の階段は、マチュピチュの3000段の階段のミニチュア版。
山中に忽然と現れる都市跡、見事な石造建造物、霧が多いなどの共通点から、かなり以前から「東洋のマチュピチュ」と称されてきた点からも、「日本のマチュピチュ」の代表格といえます
日本のマチュピチュ5:宇佐のマチュピチュ
所在地:大分県宇佐市院内町西椎屋
立地:標高300mに位置する西椎屋集落
マチュピチュ度:院内町西椎屋集落(耶馬渓最南部)と、その背後の岩峰が、絵的にマチュピチュに似ているということから、自然発生的に「宇佐のマチュピチュ」と呼ばれるように。
構図が似ているというだけですが、たしかに似ていることから、地元では有名です。
日本のマチュピチュ 5選 | |
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