飛鳥に眠るミステリースポット「益田岩船」とは!?

奈良県橿原市の南端の岩船山(130m)の頂上近く、竹林のなかのミステリースポットが、「益田岩船」(ますだのいわふね)。哲学者・梅原猛は、著書『飛鳥とは何か』で「(飛鳥で)いちばん奇怪なのは益田岩船である」と断言。何のための巨岩なのかは、今も謎に包まれています。

90度回転させると古墳の石棺に!?

益田岩船
江戸時代の案内記『大和名所図会』に描かれた益田岩船

東西11m、南北8m、高さ4.7mの花崗岩の巨岩で、重量は推定800トン。
石の上面に幅1.8mの溝、その溝の中に1.6m四方で深さ1.3mというの四角い穴が2つ空いているので、加工された岩であることがわかりますが、誰が何の目的でというのは、今も謎。
石の横に格子状の刻みが付いているのは、石を平らにする加工の途中である証拠です。

かつて有力だったのは、弘仁13年(822年)に築造された益田池を讃えた空海(弘法大師)の書による石碑を置く台という説。
天長2年(825年)、空海は池の完成を記念して、「益田池碑銘」を記し、その石碑の台座だという説で、「益田岩船」という名もこの説に由来しています。

昭和50年に刊行された松本清張の古代史ミステリー『火の路』の題材にもなっていて、「ペルシャ人が飛鳥京を訪れ、ゾロアスター教を伝えた」、「斉明天皇はゾロアスター教の信者」、「益田岩船はペルシャ人が残した石造物」と大胆な推理を展開しています。
松本清張は、「ゾロアスター教徒の拝火台」と推理していますが、考古学からは少しかけ離れた感じです。
哲学者・梅原猛は、占星術用の観測台と推測しており、古代の人がここで星を見たのだと推測しました。

近年、有力なのは、古墳の石棺だという説。
石材を上から下へ整形し、完成後に90度手前に起こすという考えで、南東500mほどにある牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん/明日香村)の横口式石槨(よこぐちしきせっかく)と類似していることから、横口式石槨ではないかと推測できるのです。
実は兵庫県高砂市の生石神社(おうしこじんじゃ)の御神体「石乃宝殿(いしのほうでん)」も横口式石槨が建設途中で放棄されたと推測され、途中放棄説がもっとも信憑性が高い説ということに。

牽牛子塚古墳の石室は凝灰岩が使用されていますが、もともとはこの益田岩船を使おうとしましたが、ひび割れが見つかり、急遽、加工しやすい凝灰岩に切り替えたというのが、有力になっているのです。

四角い穴の片方には水が貯まるのですが、残りの穴には貯まらないことで、岩には見えないひび割れがあることがわかり、途中放棄説を裏付けています。

近鉄吉野線・岡寺駅から15分ほどで到達できますが、最後は山道となるので、歩きやすい格好で。
しかも虫除け対策はしっかりと。

飛鳥に眠るミステリースポット「益田岩船」とは!?
名称 益田岩船/ますだのいわふね
所在地 奈良県橿原市白橿町8-20-1
関連HP 橿原市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄岡寺駅から徒歩15分
問い合わせ 橿原市魅力創造部観光政策課 TEL:0744-21-1115
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
益田岩船

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