三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正式な寺号は宝蔵寺ですが院号の地蔵院のほうが有名で、関宿は地蔵院の門前町です。
日本最古の地蔵菩薩(本尊)が鎮座
越前の愛発(あらち)、美濃の不破(ふわ)とともに古代の三関のひとつ、鈴鹿関があったのが現在の関宿だと推測され、関地蔵院はそうした要衝を守るため(病魔を都に入れないため)に建立されたとも推測できます。
江戸時代に、徳川家康が東海道の宿駅を定めると、関宿は西の追分で大和街道が、東の追分で伊勢別街道がそれぞれ分岐し、参勤交代や伊勢参りなどの交通の拠点として繁栄、関地蔵院も多くの参詣者を集めたのです。
明治23年の関西鉄道(現JR関西本線)で繁栄は陰りをみせますが、往時の繁栄を今に伝える門前町、宿場町の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区(亀山市関宿伝統的建造物群保存地区)に選定されています(東海道の宿場町で、往時の家並みが残る唯一の場所ともいえます)。
元禄13年(1700年)、5代将軍・徳川綱吉が建立した地蔵院本堂、室町時代初期の寛永7年(1630年)建立の愛染堂、寛永21年(1644年)建立の鐘楼の3棟が国の重要文化財に指定。
愛染堂の厨子は秀吉の寄進と伝えられています。
本堂の天井には、仏典を題材に元禄時代の絵師・狩野永敬(かのうえいけい)が10年の歳月をかけて描いた174枚の絵が描かれており、こちらも見逃せません。
ただし、元禄15年(1702年)に亡くなった狩野永敬と、享保7年(1723年)頃に完成した天井画では、20年ほどの差があり、狩野永敬の流れを汲む天井画といえるのかもしれません。
毎月24日は地蔵菩薩の縁日(1月24日が初地蔵、8月24日が地蔵盆、12月24日は終地蔵)で、写経会・納経も執り行なわれています。
愛染明王像は8月26日の愛染祭りの日に年に一度の御開帳。
ちなみに、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵菩薩に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになりました。
とくに子供、安産を守護するとされたので、庶民の信仰を集めました。
江戸時代には地蔵信仰が隆盛し(とくに京など近畿地方では旧暦7月24日の地蔵盆も盛んになりました)、多くの旅人が関地蔵院に参詣したのです。
地蔵院を脇を走る三重県道11号(四日市関線)は、明治23年12月25日に四日市と滋賀県・草津を結ぶ関西鉄道が開通した際、関停車場への道として整備された「停車場道」(明治時代には駅は「ステンショ」と呼ばれたためステンショ道とも)です。
関地蔵院 | |
名称 | 関地蔵院/せきじぞういん |
所在地 | 三重県亀山市関町新所1173-2 |
関連HP | 関地蔵院公式ホームページ |
電車・バスで | JR関駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東名阪自動車道亀山スマートICから約3.5km |
駐車場 | 40台/無料 |
問い合わせ | 関地蔵院 TEL:0595-96-0018 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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