旧御師丸岡宗大夫邸

旧御師丸岡宗大夫邸

全国各地から伊勢を目指す人々をしっかりと支えたのが御師(おんし)と呼ばれる人たち。御師の家は全盛期に伊勢に800軒を数えましたが、明治以降に急速に廃れ、今では唯一、丸岡宗大夫邸(まるおかそうだゆうてい)が残されるのみとなっています。旧御師丸岡宗大夫邸は、年数回、公開日があるのみで、残念ながら一般公開はされていません。

伊勢を目ざした数百万がたどり着いたのが御師の家

旧御師丸岡宗大夫邸
邸内には往時の資料などを展示
旧御師丸岡宗大夫邸
四方向から調理可能な巨大なまな板

江戸時代、伊勢市外宮前に位置する山田の町づくりとその運営を担い、全国的なお伊勢参りを先導した御師が丸岡宗大夫。
歴史ある建物は旧参宮街道から少し北に入った宮町烏帽子世古に建っています。

当主の丸岡正之さんによれば、
「現在の建物は、慶応2年(1866年)のもの。往時には大坂の梅田、曽根崎、心斎橋界隈に8700軒ほどの檀那(だんな=伊勢講の信者)がありました」とのこと。

御師が参拝のすべてを仕切るシステムは、「今風にいえば、まさにパッケージ旅行です。伊勢にまったく土地勘のない全国から多くの人が伊勢を目ざしたので、宮川のたもと中川原まで看板を持って出迎えたそうです」と丸岡さん。

江戸や大坂の豪商など、大檀那衆なら伊勢講のもっとも豪華なプラン「大々神楽」で豪遊したため、受け入れ側の御師の家では料理の食材の調達も大変でした。
そこで、偵察要因を熱田(宮宿=現在の名古屋市の熱田神宮近く)から伊勢湾を船で進む七里の渡しが着岸する桑名宿まで出して、到着を確認。
さらに宮川たもとの中川原まで出迎えるという二段構えで、伊勢講の講中の人々を出迎えたのです。

そしてもてなした家が、御師の家だったのです。

旧御師丸岡宗大夫邸に展示される四方向から使える巨大まな板は、多くの客に同時に料理を出すために考案されたユニークな調理道具。
往時を偲ぶ貴重な文化施設ですが、残念ながら特定の公開日以外は一般公開されていません。

旧御師丸岡宗大夫邸
当主の丸岡正之さん
旧御師丸岡宗大夫邸
名称 旧御師丸岡宗大夫邸/きゅうおんしまるおかそうだゆうてい
所在地 三重県伊勢市宮町1-9-7
電車・バスで JR・近鉄伊勢市駅から徒歩15分
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材協力/旧御師丸岡宗大夫邸

 

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