杖衝坂

杖衝坂

三重県四日市市釆女町、国道25号(名阪国道=自動車専用道)の走る東側に並走する旧東海道の坂が、杖衝坂(つえつきざか)。東海道では箱根、鈴鹿峠に次ぐ難所とされ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、伊吹山での荒ぶる神の祟りで病に倒れた後、大和帰還の途中、腰の剣を杖にして峠を越えたという伝承があります。

三重郡の郡名、そして三重県の県名の由来になった地

『古事記』には、「吾足如三重勾而甚疲」(わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)と記されており、これが、杖衝坂、さらには足が三重に折れ曲がったということが三重郡、そして三重県の県名の由来にもなっています。

杖突坂とも称され、『伊勢名勝志』(明治22年、宮内黙蔵著)には、「杖突坂 采女村ニアリ官道ニ属ス、伝へ云フ倭武尊東征ノ時、桑名郡尾津村ヨリ能褒野ニ到ルノ時、剣ヲ杖ツキ此坂ヲ踰エ玉フ故ニ名ヅク」と記されています。
日本武尊は、実在の人物ではなく、ヤマト王権の東国平定の際の武勇伝や戦いを、ひとつの話にまとめた英雄伝説だと推測されていますが、三重県ではゆかりの地が各地に残されています。

坂下から坂の上までの距離はわずかに100mほどですが、高低差は20mほどある街道屈指の急坂。
貞享4年(1687年)、松尾芭蕉が江戸から伊賀への帰途、杖衝坂が急坂のため落馬し、「歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」と詠んでいます。

大正時代には自動車が坂を上れなかったため、住民が牛を使って車を助けたという逸話が残されています。
そうしたことから、昭和に入って新道(昭和坂)を開削、それが現在の国道25号(名阪国道)です。

宝暦6年(1756年)建立という歴史ある芭蕉句碑、文化8年(1811年)の永代常夜灯があるほか、日本武尊御血塚社(やまとたけるのみことおちづかしゃ)は、日本武尊が足の出血を洗い流した地だと伝わっています。

日本武尊の杖突伝説は、岐阜県海津市南濃町にもあり、杖つき坂と称されています。
日本武尊は、故国・大和を目指す途中、能褒野(のぼの/亀山市)で没したとされ、4世紀末築造の前方後円墳、能褒野王塚古墳 (のぼのおうつかこふん/墳丘長90m)がその墳墓という伝承があります。

杖衝坂
名称 杖衝坂/つえつきざか
所在地 三重県四日市市采女町
電車・バスで 四日市あすなろう鉄道内部駅から徒歩20分
駐車場 なし
問い合わせ 四日市観光協会 TEL:059-357-0381
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
能褒野王塚古墳

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日本武尊御血塚社

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