唐招提寺・礼堂

唐招提寺の巨大な講堂の東にある南北に細長い建物が礼堂(らいどう)。鎌倉時代の築で国の重要文化財に指定されています。南北19間のうち、北側10間が東室、南側の8間が礼堂で、その間にある1間は馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。

仏舎利を安置する鼓楼を拝むための堂

礼堂とは、その名の通り、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂。
内部には、鎌倉時代作で高さ1.66mという釈迦如来立像(国の重文)、やはり鎌倉時代作の日供舎利塔(にくしゃりとう/国の重文)を安置しています。

日供舎利塔は鑑真が唐から持参し、現在では鼓楼に収められた仏舎利・「如来舎利三千粒(にょらいしゃりさんぜんりゅう)」から分けられた数十粒が収められた容器です。
つまり、日々の勤行礼拝用ということで、日々供養されるため、「日供」の舎利塔という名が付いています。

唐招提寺は世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産になっています。

唐招提寺・礼堂
名称唐招提寺・礼堂/とうしょうだいじ・らいどう
Toshodaiji Temple, Raido
所在地奈良県奈良市五条町13-46
関連HP唐招提寺公式ホームページ
電車・バスでJR奈良駅から奈良交通バス六条山行きで17分、唐招提寺下車すぐ。または近鉄橿原線西ノ京駅から徒歩10分
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約7.5km
駐車場150台/有料
問い合わせ唐招提寺 TEL:0742-33-7900/FAX:0742-33-5266
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唐招提寺

南都六宗の一つである律宗の総本山が唐招提寺。唐の高僧、鑑真和上(がんじんわじょう)が聖武天皇に招かれて苦難の末に来日し、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸を譲り受けて創建した寺。当初は唐律招提と名付けられ(「招提」

唐招提寺・金堂

律宗の総本山が唐招提寺。金堂は古代寺院における本堂を表す呼び名。唐招提寺の金堂は、奈良時代建立の建物で金堂としては現存唯一する奈良時代の建物。もちろん国宝に指定されています。平成の大修理も終わり、往時の姿を取り戻しています。現存する日本最古

唐招提寺・鼓楼

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唐招提寺・宝蔵

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唐招提寺・芭蕉句碑

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唐招提寺・御影堂

唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)は、度重なる難航海と両目失明という苦難の末に渡来、754(天平勝宝6)年に東大寺に到着しました。759(天平宝字3)年、東大寺戒壇院を退き、唐招提寺を創建。国宝の鑑真和上像を安置するのが御影堂(みえいど

唐招提寺・南大門

唐招提寺南大門は開祖・鑑真和上1200年遠忌を機として、昭和37年に天平様式で再建されたもの。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。南大門をくぐると正面に金堂(国宝)、その背後に講堂(国宝)があります。かつては南大門と金堂の間に中門が

唐招提寺・経蔵

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唐招提寺・講堂

唐の高僧・鑑真和上が聖武天皇に招かれ、難行苦行の末にようやく来日、東大寺で多くの高僧に受戒していますが、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)旧邸跡に唐招提寺を創建。講堂は平城宮朝堂院の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を7

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