薬師寺・金堂

世界遺産「古都奈良の文化財」に登録される薬師寺の伽藍のうち、昭和51年に再建された白鳳伽藍の一部が金堂。金堂は1528(享禄元)年、土地の豪族の戦火で焼失。豊臣秀吉が再建を計画しましたが叶わず、復興は長年の悲願だったもの。

国宝・薬師三尊像を安置する薬師寺の中心となるお堂

白鳳伽藍の中心、西廻廊、東回廊に囲まれ、西塔、東塔を従えて建つのが金堂です。
手前には中門、背後には大講堂と食堂(じきどう)が並ぶ、まさに「薬師寺式伽藍」です。

薬師寺縁起に二重二閣、五間四面、瓦葺きとあるものを、東塔の意匠に統一させて見事に復元しています。
龍宮造りと呼ばれるエレガントな造りで、堂内に白鳳時代作の国宝・薬師三尊像(薬師瑠璃光如来・日光菩薩・月光菩薩)が安置されています。

薬師寺・金堂
名称薬師寺・金堂/やくしじ・こんどう
Yakushiji temple,Kondo
所在地奈良県奈良市西ノ京町457
関連HP薬師寺公式ホームページ
電車・バスで近鉄橿原線西ノ京駅から徒歩2分。またはJR奈良駅から奈良交通バス六条山行きで18分、薬師寺下車すぐ
ドライブで西名阪自動車道郡山ICから約7.5km。第二阪奈道路宝来出口から約5km
駐車場薬師寺駐車場(100台/有料)
問い合わせ薬師寺 TEL:0742-33-6001/FAX:0742-33-6004
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
薬師寺「南大門付近からの白鳳伽藍全景」

【新・南都八景】薬師寺「南大門付近からの白鳳伽藍全景」

奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、薬師寺「南大門付近からの白鳳伽藍全景」。東西に塔を配した「薬師

薬師寺・西塔

薬師寺西塔は、1528(享禄元)年の兵火により焼失、礎石のみが残されていたものを昭和56年に453年ぶりに再建。国宝の東塔とほぼ同じ形で、白鳳様式を用いて建てられています。よく見ると東塔は裳階(もこし=軒下壁面に付いた庇状構造物)部分が白壁

薬師寺・東塔

薬師寺・東塔は、730(天平2)年に造営されたと伝わる三重塔。高さ33.6mで各層に裳階(もこし)を付けているため六重に見えるのが特徴。薬師寺は、数度の災害と1528(享禄元)年の兵火により多くの堂宇は焼失していますが、東塔は当時の建造物で

薬師寺・東院堂

薬師寺の東院堂は養老年間に吉備内親王(きびないしんのう)が平城京に遷都した女帝・元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈り建立したもの。境内東側、東回廊の外に位置しています。973(天禄4)年の火災で焼失後、1285(弘安8)年に再建された建

薬師寺・回廊

薬師寺の金堂、大講堂、西塔、東塔を取り囲むのが東西の回廊。薬師寺式と呼ばれる伽藍配置は白鳳時代そのままなのです。回廊のエンタシス風の列柱はヘレニズム文化の影響を残したものともいわれてきましたが、現在では否定的な意見が多いのも事実。昭和43年

薬師寺・大講堂

平成15年3月に四百数十年ぶりに奈良、薬師寺に復興したのが大講堂。正面41m、奥行き20m、高さ17mという巨大な建物で、薬師寺の中では最大の建造物。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、講堂にはたくさんの学僧が参集して経典を講讃した

薬師寺

薬師寺は680(天武天皇9)年、藤原京に天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ=のちの持統天皇)の病気平癒のため発願し創建された法相宗の寺で、平城京遷都とともに奈良に移されたもの。日本に仏教が伝えられた時代のままの伽藍(薬師寺式伽藍)

よく読まれている記事

こちらもどうぞ