高取城

高取城

美濃・岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」に数えられる名城が奈良県高市郡高取町にある高取城。南北朝時代、元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)によって高取山(583.6m)の山頂に築かれた典型的な山城で、「日本100名城」にも選ばれています。

高取山山頂部に築かれた難攻不落の城は「日本三大山城」に

高取城
大手門跡
高取城
高取城太鼓御櫓台

比高350mの高取山山上に築かれた高取城、尾根沿いに西へ下れば壺阪峠で、壺阪寺があります。
高取山は南東に下れば吉野という地勢的にも重要な地で、山頂からは吉野、大峰、金剛の山々や大和盆地を一望にします。

越智氏が城主の時代には貝吹山城と呼ばれていましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉から大和・和泉・紀伊を与えられた弟・豊臣秀長が家臣・本多正俊を配して大改修を行なっています。
関が原の戦いの直前には、家康について上杉景勝討伐軍に加わった本多俊政の留守を突いて、石田三成軍が攻め寄せましたが、難攻不落の構えで撃退しています。
元和元年(1615年)の一国一城令の際も、重要な山城として破却を免れ、日本屈指の山城としての姿は存続しました。

さらに寛永17年(1640年)、植村家政が2万5000石の高取藩主となり近世的な城郭に改修。
山麓から壮大な石垣が続き、往時には27の櫓(22基の櫓、5基の多門櫓)と33の門で難攻不落を誇りました。
これが「日本三大山城」に数えられる大きな理由ですが、現存する石垣の大部分は、豊臣秀長時代に築かれたもの。

高取城
二の丸石垣
高取城
天守台石垣

国見櫓跡からは大和盆地を、本丸から吉野山を一望に

高取城
国見櫓跡から奈良盆地、大和三山方面の眺め
高取城
本丸から吉野山方面の眺め

西の壺阪峠から山頂近くの七つ井戸(3台ほど駐車可能)まで車道が通じているので、さほど歩くことなく到達も可能。
バス・タクシー、あるいはマイカーで壺阪寺まで入れば、徒歩1時間ほどで高取城。
山麓の高取町観光案内所「夢創舘」に車を入れて、山頂を目指せば徒歩1時間30分(夏はマムシが出るので登山に不向きです)。

明治維新後に二の門が子嶋寺に売却されるなど、入札で建物の多くは近隣の寺などに払い下げられましたが、天守などはその後も現存。
その後、荒廃して明治24年頃に天守なども破却され、現存するのは石垣のみとなっています。
ただし、山上ゆえに、ほとんどの石垣が往時のままに残されています。

二の門城外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点にある猿石は、高取城築城の際、石垣に転用するために明日香(明日香村)から運ばれた巨石。
飛鳥時代、吉野離宮を開いた斉明天皇時代のものと推測される巨石です。

矢場門手前を右に入った国見櫓跡(二の門跡から本丸へ行く途中)は、大和盆地一望の展望台。
さらに本丸跡からは吉野連山を一望にします。
また城下に残る植村家長屋門は旧高取藩の筆頭家老屋敷の長屋門で、県の重要文化財に指定。

高取城跡は紅葉の名所でもあり見頃は例年11月中旬から下旬。

猿石
これが必見の猿石
高取城
名称 高取城/たかとりじょう
所在地 奈良県高市郡高取町高取
関連HP 高取町公式ホームページ
電車・バスで 近鉄吉野線壺阪山駅から奈良交通バス壷阪寺行きで15分、壺阪寺下車、徒歩50分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約25.5km
駐車場 駐車スペース(3台)利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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