米百俵之碑(国漢学校跡)

米百俵之碑(国漢学校跡)

新潟県長岡市街を貫くメインストリート、大手通の角地にある「米百俵之碑」。もとは戊辰戦争の敗戦後、長岡藩の文武総督に任命された小林虎三郎が、昌福寺の本堂を間借りして開いた「国漢学校」を明治3年(1870年)6月15日、当地に移転。その新学舎があった場所(国漢学校跡)。

長岡再建の礎が築かれた場所

国漢学校の新学舎を整備している最中、長岡藩の窮状を見かねた支藩の三根山藩から届いた救援物資の米百俵を、小林虎三郎は困窮した藩士の食い扶持にあてず、あえて売却。

「教育こそ国家繁栄の礎」という信念のもと、書籍などの購入にあてたというのが、かの有名な小林虎三郎「米百俵」の逸話。
以来この国漢学校は、漢学、国学のほか、洋学局や医学局も設置され、長岡の近代化に大きく貢献。

目先のことにとらわれず、教育を普及させ、人を育てることこそが、国家百年の大計だとする「米百俵の精神」は、昭和18年、山本有三によって戯曲『米百俵』で広く世に知られました。

平成13年5月7日に小泉純一郎内閣総理大臣の所信表明演説に「今の痛みに耐えて、明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか」と引用され、その年の流行語大賞にもなっています。

米百俵之碑(国漢学校跡)
名称米百俵之碑(国漢学校跡)/こめひゃっぴょうのひ(こっかんがっこうあと)
所在地新潟県長岡市大手通2-3-1
関連HP長岡市公式ホームページ
電車・バスでJR長岡駅から徒歩7分
ドライブで関越自動車道長岡ICから約6.3km
駐車場アオーレ長岡地下駐車場(103台/有料)など
問い合わせ長岡市観光企画課 TEL:0258-39-2344
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
小林虎三郎の碑

小林虎三郎の碑

新潟県長岡市の郊外、悠久山公園にある蒼柴神社(あおしじんじゃ)に向かう参道の脇に、ひっそりとたたずむ小林虎三郎の碑(小林病翁の碑)。病翁(へいおう)とは、幼い頃から終始病気にさいなまれた自身を表して、後年虎三郎から改名した名前。碑は没後50

昌福寺(長岡国漢学校発祥之地)

昌福寺(長岡国漢学校発祥之地)

新潟県長岡市四郎丸にある曹洞宗の寺が昌福寺で、山号は万融山。河井継之助が軍事総督を務めている北越戊辰戦争時、負傷者を手当てする長岡藩の病院としても利用された寺で、戦後の明治2年5月1日には、長岡藩の文武総督・小林虎三郎が、焼け残った寺の本堂

米百俵の群像

米百俵の群像

新潟県長岡市、ハイブ長岡(長岡産業交流会館)と県立近代美術館の間にあるのが米百俵の群像。山本有三の小説にもなった『米百俵』は、戊申戦争(ぼしんせんそう)後、飢饉で苦しんでいる長岡藩に支藩の三根山藩から送られた100俵の義援米を金に換え学校(

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