眼鏡橋

眼鏡橋

長崎市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋は日本で初めてつくられたアーチ型石橋。唐寺である興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が、参詣者のためにと江戸時代初めの寛永11年(1634年)に架けられたといわれ、長さ23m、幅4.5m。国の重要文化財に指定されています。

日本初のアーチ式石橋は長崎の唐文化を今に伝える史跡

眼鏡橋
風がない日には眼鏡のように

眼鏡橋が架橋された17世紀は、キリスト教が禁止され、唐文化の導入で、唐寺が次々に建立されました。
興福寺もそのひとつで、日本最古の黄檗宗の寺。
同じ黄檗宗の崇福寺、福済寺とともに長崎三福寺に数えられています。
創建は、寛永元年(1624年)、中国僧・真円ですが、2代目の黙子如定は、寛永9年(1632年)に来日。
黙子如定は、先進技術の導入して眼鏡橋の建設にあたりました(黙子如定が直接技術指導したのか、工人技師が別にいたのかは定かでありません)。

橋影が川面に映るのが、眼鏡のように見えることから「めがね橋」と呼ばれ、明治15年に正式に眼鏡橋と命名されています。
かつては日本橋、錦帯橋と並んで日本三名橋にも数えられていました。

長崎大水害からも見事に復活し、中島川石橋群を構成

眼鏡橋
眼鏡橋

昭和57年の長崎大水害で一部が崩壊しましたが、のちに修復復元。
修復時に橋のたもとに江戸時代のものとみられる階段跡が見つかったため、スロープとなっていた橋に端が階段に戻されています。
明治6年頃、人力車の通行の妨げになることからスロープに変えられたものと推測されています。

日没〜22:00はライトアップされ、橋の影がくっきりと川面にも映り、昼よりも眼鏡らしく見えます。

中島川には、かつて17〜18基の石橋が架けられていたというが昭和57年の長崎大水害など度重なる水害でその多くを失っています。
眼鏡橋、桃渓橋(ももたにばし/長崎電鉄諏訪神社前電停から徒歩3分)、袋橋(長崎電鉄賑橋電停から徒歩2分)の3橋は往時の石橋の姿をとどめた形で復旧され、中島川石橋群を構成しています。
高麗橋は平成5年に西山ダム下に移築復元。

眼鏡橋
冬の一大風物詩『長崎ランタンフェスティバル』開催時の眼鏡橋
中島川護岸のハートストーン
眼鏡橋付近の中島川護岸にハートの形をした石が20個前後(地元の人の調査では19個までは確認されています)はめられて、ハートストーンとして人気を呼んでいます。
平成18年の護岸工事の際に、石垣の中に遊び心からハート型の石がはめられたもの。
ハートストーンといえばグラバー園が有名ですが、実は眼鏡橋にも。
魚市橋の階段を下り、眼鏡橋方面に歩けば、ハートストーンが。
眼鏡橋・ハートストーン
こんな感じでハートストーンを探します
眼鏡橋・ハートストーン
水辺沿いの歩道を歩けば間近にハートストーンが
眼鏡橋
名称 眼鏡橋/めがねばし
Meganebashi(Spectacles Bridge)
所在地 長崎県長崎市魚の町
関連HP 長崎市公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅から徒歩15分。または、路面電車蛍茶屋行きで4分、公会堂前下車、徒歩8分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約4.3km
駐車場 長崎市民会館地下駐車場(183台/有料)などを利用
問い合わせ 長崎市文化観光部文化財課 TEL:095-829-1193/FAX:095-829-1219
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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